ロナルド・ドーア『誰のための会社にするか』


 岩田規久男『そもそも株式会社とは』における株主主権論とは対照的な議論を展開している。ドーア氏は日本の停滞については総需要不足による循環的要因と基本的に認識している。そのため彼の長期停滞への対処には、インフレ目標政策や所得政策の実行が含まれる。ドーア氏の「日本型資本主義論」については別な機会で触れたので参照していただきたい。そこでも僕はドーア氏の基本的な主張に原則的に賛成している*1ドーアの基本的な主張は下のリンク先でも書いたが、「効率性という歯車に少しばかりの砂をかける」ことにある*2。その意味では、ジョセフ・スティグリッツ、ロバート・フランクらのこのブログでも再三とりあげている経済学者たちと共通した経済社会観を持っているといえよう。


「ノーガード経済論戦」(第2回 ロナルド・ドーア『日本型資本主義と市場主義の衝突』)
http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/91ba897cc37696e833520d86227b2f32


 本書の内容を僕の関心だけから書いてみよう。


 敵対的買収が企業の効率性を高めるという主張は、すでに岩田『そもそも株式会社とは』の中心的なメッセージであることはみた。ドーアはそのような敵対的買収正当化論は、次の四点で許容できないという。① 企業の株価は経営者の経営能力の適切な指標ではない(=株式市場の不合理性の存在の指摘、ケインズ美人投票論の援用)、② 情報公開、アナリストの存在、会計原則の整備は、長期的視野の投資家に役立つとはかぎらない(エンロン事件の存在)、③敵対的買収が効率性を高めるとは限らない(米国の事例でも買収前よりも後が企業業績が上がっていない事例研究がいくつか存在する)、④敵対的買収潜在的な可能性は、経営者を短期的利益を重視した投資行動に走らせてしまう。


 ドーアも岩田本と同じように、「会社は誰のものか論」を二極ー「株主所有物企業」(株主価値論)対「準共同体的企業」(ステークホルダー論)にわける。それぞれの意味するところは、岩田本における「株主主権論」と「従業員主権論」にほぼ完全に対応している。


 ドーアは「会社は誰のものか論」とは、コーポレート・ガバナンスの問題であり、それはステークホルダー(株主、経営者、従業員)の間での会社の権力の配分を規制する諸制度を考えるものであるという。そして会社の資源をどう活用するかを考える上で「動機付け資源」の問題にドーアは注目している。これは各国の文化・パーソナリティー・制度によって、人のインセンティヴのあり方が異なる、というドーアの社会経済論の中核である。ここでのドーアは、内発的動機と外発的動機、金銭と権力と名誉、利己主義と思いやり のそれぞれ3つの視点から日本と米国の社会性を分析している。


 ドーアによれば、内発的動機(やりがい、自己達成感の追求、良心の呵責など)、名誉、思いやりを日本人は米国人よりも重視している、と指摘している。この点は社会学的要因をあくまで経済論理とは切り離してストレート勝負で導入した議論になつている。続く(日がまたいでもこのエントリーで追記予定)


誰のための会社にするか (岩波新書)

誰のための会社にするか (岩波新書)

*1:もっとも昨日も書いたが会社というブラックボックスの優劣で一国経済の制度のサバイバルを論じることに僕はためらいがある

*2:あんまりかけると故障してしまうが