ミル『自由論』新訳と官僚制への批判


 いろんなところで新訳の好評を聞くので読んでみました。僕はこのミルの本はあまり興味を抱くことが昔はできませんでした。今回の読書経験でもやはり第4章までは退屈でした。現代的な意義を最も見出しやすいのはやはり「第5章 原則の適用」でしょうか。そこでミルは個人と政府の相互関係を再説して、教育制度や救貧制度を含めていくつかの実際例をもとに彼の自由論を展開しています。


自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

 ミルが政府の干渉を反対する理由として3つのものを挙げています。

1 事業は事業に関わる個人に任せるのがベスト(今風にいうならば経済的インセンティブが伴う)
2 官僚がやってもいいけれども、個人や民間組織がやったほうがいいケースも多い。例;陪審制度や地方自治
  「実際には市民としての能力を育てる訓練、自由な国民の政治教育のうち実地訓練の部分であり、個人や家族の利己的で狭い世界から抜け出して、共同の利益の理解と共同の問題の処理になれるようにするものである。つまり、公共的な動機かそれに近い動機で行動する習慣を育て、個人が孤立するような目的ではなく、団結するような目的に向かって行動するように導くものである。こうした習慣や能力がなければ、自由に基づく政治体制はうまく機能しない」(訳241頁)

3 政府の権力の拡大=官僚の拡大が非効率を招く。

 3についてはミルは政府の活動の便益と政府の活動が招く害悪の両者のどちらが優性になるか否かの閾値を見分けるのは最も難しい統治の技術であると述べている。


 ミルはこの問題を解決する一般原則はなく個々具体的に処理するしかない、と述べる一方で、それでも「効率性を損なわない範囲で最大限に権限を分散すると同時に、最大限に情報を集中し、中央から情報を広めることだ」(訳246−7頁)と書いている。しかし政府が民間部門について情報優位である根拠は乏しく、むしろ政府による情報のコントロールがまさに「政府の失敗」の根元であるように思える(最近の日銀の地ならしを想起されたい)。