齋藤誠「消費回復のために必要な政策とは」(『週刊東洋経済』)の教訓なき言説


 消費回復のために必要な政策とは? その回答がずばりこの論説に凝縮して書かれている。


 その回答とは、齋藤氏の論説とは反対のことをやるか、もしくは勧められている政策を絶対やらないことだ。


 齋藤論説は、消費が伸びない原因を、1)現状の低金利政策が消費者の資産効果を削減していること(ローンの返済負担軽減効果<利息収入の減少)、2)柔軟な雇用契約が結ぶことができない(=解雇困難である正規労働者という経営上の制約→正規労働者の雇用増を制約) という二点に求めている。その対策は、金利上昇政策と解雇規制の廃止と思われる。


 まず齋藤氏の基本スタンスはこの「清算主義の復讐」を参考されたい。http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061126#p2


 ①実質デフレの状況での金利上昇政策は当然に金融引き締めになり、デフレとデフレ期待に貢献して、いままで10数年も停滞を繰り返した経験を追体験するのに貢献するだろう。何も教訓を過去から(しかも高々数年前!)得ていない恐るべき発言か。経済学で反論するよりも(上の参照先にそれは書いたので)単なる常識で齋藤論説に対するのが最早もっとも正しいように思える。


 ②労働市場の改革だが、正規労働者の解雇がより自由になるということが、経営の制約にならない→(齋藤氏は賃金の高い正規労働の需要を高めるため、と称しているが、それは)経営コストの削減という事実上の正規労働の賃金水準の切り下げが実現=非正規なみの水準の賃金への切り下げ、が狙いである*1。イメージでいうなら高い賃金の労働者は賃金カットかリストラを選択する羽目になるだろう(①では実質デフレがさらに深刻化するのでその傾向はさらに強まる)。


 ①と②から齋藤案はむしろ消費の急激な減少を促すであろう。まさにこれぞ清算主義である。


 齋藤氏の主張とは異なり、家計消費が伸びないのは、実質デフレ(デフレギャップが存在していること)であると考えるのが最も容易に説明がつくであろう。なおギャップの縮小過程=景気の持続があっても実質デフレが解消されていないことは明記されたい(デフレでも景気がよくなった、景気がよくでもデフレだからデフレでも問題なし、などというのはまったくの俗論であることはおわかりいただけると思う)。

*1:田中は正規労働の「下げられない部分」を切り下げるのではなく、非正規労働者の待遇を切り上げることで「均等化」すればいいと考えているが、こういう意見は少数派なのかもしれない。この種の事実上の正規雇用の待遇切り下げによる非正規との均等処遇は、こーぞー的変化が生じたという意見の別様の歌声なのであるが、リフレを支持する人たちも歌声が変わると意外ところっとだまされているように思える。ちなみに似た歌声を例示したのが、拙著『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)の138−139ページに書かれている。理屈はその野口悠紀雄氏の発言となんら異なることはないのだが