表紙にある煽り文句
「格差が広がるほど成長力が高まり中流層も潤う それが経済の真実だ」
嘘も大概にすべき。長期的な経済成長を規定するのは生産性であって経済格差でもなんでもない。例えば効率を追求する過程で誰にその便益が帰属するかという形で「経済格差」が問題になってくるのであって、格差があるから成長力やましてや中流層が豊かになれるなんて聞いたことない(少なくとも経済学の常識ではないと思う)。
今回のニューズウィークは格差社会論に問題提起をしたかったのだろうけれども全体的にこの表紙のキャッチフレーズをそのまま真に受けた紙面構成といってよく唖然とするものがある。例えば極端な「一人勝ち社会」(経済格差の極端形のひとつ)が誕生したら、むしろ勝者以外の社会的成員のやる気が極度に失われたり、また一人勝ちゲームに人生を賭けることで人的資源が無駄に浪費されることが頻繁に起こるだろう。その意味で格差を前提にした経済社会は長期的に維持できるかどうかすら疑わしい。もちろん逆に同誌が今回極端にタコ叩きしている平等を追求しすぎればもちろん経済成長がおかしくなるかもしれない。だから問題は古くからある効率性と平等のトレードオフという誰もまだ完全な答えを見出していない課題に戻るだけなんだ。
で、湛山主義を標榜する保守的な(いや、まじめに)僕からみると、いまの日本では政府や官僚や大メディアなどが商売になるのであまりにも「経済格差」と「市場原理主義」を対比的に扱っていると思う。しかし僕のみたところ日本の社会はあれやこれやいろんな問題があるけれどもマクロ的な要因さえある程度解決できればそこそこまともな社会だと思っているわけですよ。つまりなんとか効率性と平等のトレードオフの解をそれなりにいままで見出していたのが、こーぞー的な日本社会の地層だと*1。
ところで同誌のコラム「「勝ち負け」の差はあって当たり前」(千葉香代子)をみると、若田部昌澄さんと原田泰さんの発言が引用(利用)されている。
若田部さん曰く(本当に曰くかはしらない、だって生の発言の引用じゃなくて地の文だから)
「競争の結果、勝ち負けの差がつく相対的格差をどこまで許容するかは経済学よりも社会的含意の問題だ」
そして日本の問題は経済成長するという期待感があるかないかの問題ともいえる、と語っている。
この若田部さんの発言は、先の効率性と平等のトレードオフをどう解決するか、という問いなわけです。たぶんこのコラムやニューズウィークの記事が巨大掲示板wあたりで引用されちゃうと、ただの格差是正論者に思われてしまうかもね。それはただの日本語理解が中途半端なだけなので注意しましょう。
あと金持ちの消費が「したたり効果」で人々を食わせるとか書いてるけれどもいまの日本は18世紀のフランスじゃないってば!*2