リチャード・クー氏からの批判その①


①の続きがあるかはわかりませんがw


『「陰」と「陽」の経済学」におけるクー氏からの批判です。


クーのバランスシート不況というのは次のように理解してました


①資産価格下落というショック →②企業のバランスシートの破綻(実質債務の増加) →③投資抑制+借金返済 →④デフレギャップの拡大 →⑤バランスシートの悪化(資産価値の下落、負債の負担増という形の実質債務の増加)


その上で、『経済論戦の読み方』では以下のように書きました。

バランスシート不況とは、デフレによって企業の実質債務が増加してしまい、銀行などから資金を借りて新規の設備投資をするよりも、借金の返済に奔走せざるをえなくなることである。投資が低下することによって総需要が不足し、継続するデフレがさらにバランスシートの悪化を生み出す」


ところがこれに対して、クー氏は(上の引用文ではなく同じことを別視点で書いた記述に対して)

「ここにはいくつかの論点があるが、まず私は「デフレのもとで…」と言ったことは一回もない。私の主張した因果関係はその逆だからだ。つまり企業が借金返済に走るから総需要が減少し、不況とデフレが起きるのであって、これは田中氏らが主張している、デフレがあるから企業がキャッシュフローを債務返済に回しているという因果関係とは全く逆である」

と書いてます。


クー氏の上の図式における①を重視した立場にみえますが、①自体はいわば図式上も外生的なショックでして、これが持続して生じるためには④と⑤のつながりが重要になると私はクーの体系を理解しました。このつながりがないならば、まずクー氏が説明している10数年にわたる持続的な不況は生じないでしょう。


それとクー氏の批判をみてて思ったのは、なぜかバランスシートを資産側も負債側も名目値の動向にのみ関心を割いているように思えました。しかしこれは実質化しておかないと投資の抑制や借金返済の文脈において貨幣錯覚などの可能性を排除できません*1。旧著を読んだときはそんなことは自明なのでそれを反射的に採用しましたが、もし実質化がだめだというならばそれはそれで承知しますが、ただいま書いたような問題がでてきますがそれでいいのかしら?


またマンキューのテキストなどでは、フィッシャーの負債デフレ理論を用いてバランスシート不況を記述していますが、新刊ではフィッシャーとの違いをクー氏は書いてまして、そこの要点は④を重くみるフィッシャー、⑤を重くみるクーと整理されているように思えますが、いまも書きましたように外生的なショックに異常な重みをおかないかぎり、不況の持続的なメカニズムでは④も⑤も重要でして、クー氏の議論ではこの両者の論理的結合がきわめて重要に思えるのでした。


それとクー氏は「若田部、野口、田中各氏のような国内のリフレ派は皆財政出動に嫌悪感をお持ちのようなので、彼等が政策担当者だったら、彼等はおそらくこの9000億円を財政再建国債の借款)に回してしまうだろう」と書かれていますが、まずお断りしますが、他のおふたりはおふたりがお応えいただいたほうがいいと思いますが、ことわたくしは政策の可能な選択肢の中から財政政策を排除したことは一度もございません。お読みいただいたはずのw『経済論戦の読み方』には「さまざまな景気対策」としてそれは互いに排除関係にはないいくつもの財政・金融政策をあげておりますが、なにか? また財政再建が私が目下危急と考える政策目的でもございません。

私の記述を以下に書かせていただきましょう
「このように、財政・金融政策によって需要不足を解消することが、ベーシックな処方箋である 略 より現実的に考えれば、貨幣発行益を利用した減税政策として、企業負担の社会保険料の減額などが有効であろう。このように工夫された財政政策と組み合わされば、インフレターゲット政策は確実な効果を上げるはずだ。これは伝統的なポリシーミックスである(以下は長期国債の買いオペなどが続く)」
また貨幣発行益などの減税利用などという暗黒麺の影響を受ける前の『日本型サラリーマンは復活する』では財政と金融のポリシーミックスを無骨に提案しております。

ここらへん、良く私を財政政策否定派とみなす人が多いので特に注記したしだいです。

*1:例えば(あ)負債100億円>資産80億円 で債務超過が20億円 それが(い)負債1000億円>資産800億円 になると、債務超過200億円が問題ということになる。 (あ)より(い)は債務超過額が増加しているので(あ)のときより企業は借金返済に走ることになる。しかし単に物価が10倍になったということであるならば、実質債務は変化しないから①と②のケースは名目の変化だけである。このとき借金返済により励む企業は単に貨幣錯覚に陥っているだけである