書評:細野豪志・開沼博『東電福島原発事故 自己調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10』

amazonに書いたものとは別に、同書の推薦文を書いたので、その完全版を以下に。宣伝の素材には以下の一部しか使われてません。かなり書きました(笑。それだけいい本です。

 

福島の農産物や魚、なんでもおいしく食べ、そして科学の知見を活かして風評被害や積み重なる弊害に立ち向かえ

田中秀臣(経済学者、上武大学教授)

 東電福島原発事故への対応の責任者(原発事故収束担当大臣・環境大臣)であった政治家が、10年を経て、当時の政府が下した政策の現在における帰結を、痛切な問題意識とともに“自己検証”した一書である。
今も3.11に真摯に向き合う人たちとの対談、政治家としての現時点での具体的な提言、そして開沼博氏の周到な編集と解説とで織りなした、今後も長く参照される本である。
重大な問題の解決のために、さまざまな利害関係者との調整の末に、その当時は最善と思われた方針、あるいは緊急避難的に採用した政策が、その後独り歩きを始めてしまい、いつの間にか問題解決のための「手段」であったものが、「目的化」することはよくあることだ。一面ではそれだけ重大事に関する政策決定は重いともいえるが、やはり「手段の目的化」は効用よりもはるかに弊害が大きい。「手段の目的化」という本末転倒に至っていないか、常に政策当事者はそのチェックを怠るべきではないだろう。
だが、そうは言ってもなかなか実現できていないのが今の日本の政治の世界だ。3.11から10年がまもなく経過する中で、当時の政策の効果とその手段の有効性を総合的に検討する動きは、最近の新型コロナ危機への対応に忙殺されているとはいえ、政府・与野党ともに政治の場の意識は低い。その中で本書の貢献は読めば明らかである。
本書で明らかにされている「手段の目的化」の例示は、開沼氏がまとめているように「追加被曝年1ミリシーベルトの呪縛や、食品基準の設定、処理水や県民健康調査の対応方針」だ。本書を読めば明らかなように、当時としては様々な利害関係者の調整のすえに導き出された緊急避難的対応でもあった。だが、時をこえて「緊急避難的な方策」が、「絶対に変えてはいけない方策」に変更してしまうことに、問題の深刻さがある。これを政策の「経路依存性」とでも表現しよう。科学的な観点からは不合理で、非効率的な「制度」でも、初期の設定に依存してそのまま続いてしまう。これは新型コロナ危機で、なぜ欧米に比して感染症の医療支援体制がすぐに限界に直面してしまうのか、またなぜ世界中が大胆な経済政策を取る中でも「財政規律」を唱えるトンデモ経済論がいまも政治、官僚、マスコミに耐えないのか、それを解き明かすことにもつながる問題設定だ。そういえば、東日本大震災の時に「財政規律」の観点から復興増税を唱えた勢力がいたが、その勢力はいまも「経路依存性」に安住して日本の経済的危機を煽っているではないか。
本書では、この「手段の目的化」「悪しき経路依存性」にいかに対峙するか、その具体策は明らかである。原発事故の処理水の海洋放出の必要性、中間貯蔵施設で安全性の確認された除染土の積極的な再利用、甲状腺検査の過剰診断・治療をなくすこと、なによりも科学の知見を正しく理解し、それを普及させ、福島の食産物をおいしくいただくこと。細野氏の事故=自己反省の書である、本書はわれわれが日本の社会をどう考えていくか、読者自らの自己考察を促すことだろう。
なお事故当時、米軍の太平洋艦隊司令長官が日本にくるくだりを読むと、日本と米国との関係が、緊張感を増し、瀬戸際にあったことがわかる。もし当時、日本が事故への対応をコントロールできていなければ、日本の行政を米軍に一部握られる可能性があったことが、本書で示唆されている。政治が誤れば、本当に「亡国」につながる。それは米国との関係だけではなく、現在、緊張関係にある中国、ロシアなど周辺国家との関係においてもそうなのだ、と本書ではごく一部にしかすぎないエピソードだが、強く印象に残った。