有名人であることの経済学:その便益と費用

米国の経済学者タイラー・コーエンの著作に『名声の価格はおいくら?』という著作がある。コーエンの本はいままで二作ほど監訳でお手伝いしたことがある。その他にもコーエンの著作のかなりのものが翻訳されているが、この著作も早めに翻訳してほしいものだ。ただ内容については、拙著『不謹慎な経済学』で一部を紹介したこともある。

 

ここではコーエンの『名声の価格はおいくら?』の重要部分を要約したともいえる彼の論説「商業的名声を讃えて」の要旨を紹介する。アイドル、芸能人、そして著名人たちの「名声」を経済学的にどうみるのか。コーエンの理解は楽観的に偏りすぎているようにも思える(ネットの誹謗中傷という“有名税”はあまりにも過酷なものである)。ひとつの議論の軸としての紹介とする。

 

「商業的名声を讃えて」の論点

https://www.econlib.org/library/Features/feature4.htm

 

従来の主張:有名人が増えると文化が堕落する。有名であることと、文化への貢献はトレードオフの関係にある。

 

コーエンの主張:有名人(セレブレティ)を生み出すことは市場の積極的な意義。従来の主張は市場のもたらす効率性(消費者・生産者の状況の改善)を見逃している。市場の有益な機能のひとつとして、「名声」は生み出されている。

 

コーエンの主張の引用(DeepL翻訳利用)

「名声は、賞賛や注目度が比較的安価であるため、より多くのスターをより安価に獲得することを可能にします。名声は、ファンにとっては「安いデート」と考えることができ、それによって私たちはより多様で創造的なパフォーマンスを引き出すことができます。このように、名声があるからこそ、より多くの良いパフォーマンスを引き出すことができるのです」。→名声の自己実現的な側面(高位均衡の実現)。

 

名声を得ることのインセンティブ(他者からの承認欲望)の正の外部効果。この正の外部効果は、マスメディア(TVやインターネットなど)の発展とともに増加している。

 

名声の正の外部効果(=他者からの承認欲望→自らのパフォーマンス向上→他者への有益な波及)の一例として、コーエンは社会の構成メンバーが得る「共有体験」(経済学者でいうフォーカルポイントの形成)を指摘する。

 

例えば、有名人の話題は、人と人が天候を話題にするとの変わらない安価な話題として、人と人との付き合いをスムーズにする潤滑油になるかもしれない。⇔コーエンはこの安価な話題が時には誹謗中傷として負の外部性をもたらすことに無頓着すぎるように思う。

 

有名人あるいはスターは、「市場の効率性の向上に直接貢献している。例えば、タイガー・ウッズはゴルフをするのに忙しくて、彼が(広告などで)すすめる製品のほとんどについて多くを学ぶことができない。しかし、彼(と彼のエージェント)は、正しいイメージを投影し、ファンを失望させないことによって、彼の評判を維持するためのあらゆるインセンティブを持っている」。

 

有名人は自分のイメージを損ねない努力をする⇔有名人の広告する製品がいいものであることも有名人の有名であることのインセンティブになる。つまり本当の有名人は変な製品の広告に出ない努力をする。⇔コーエンのこの有名人と広告(CM)の関係もかなり楽観的な側面がある。

 

有名人を生み出すことは、世界の多様性を増すことになる。さまざまな表現のイノベーション、あるいは注目されていなかった表現者を「有名」にすることで、我々の世界が豊かになる。

 

コーエンの発言。

「名声の世界は、批評家が描くような「勝ち組」の世界ではありません。むしろ、宣伝は新しい市場のニッチと選択の自由度を継続的に提供してくれます。現代の本や音楽の専門店に足を運べば、この真実を確認することができるだろう。市場の根本的な結果は、タイガー・ウッズマイケル・ジョーダンのような少数の大勝利者だけを生み出すのではなく、むしろ市場の両側の勝利者の数を増やすことである。」。

 

有名人であることは、文化を本当に堕落させるか? この指摘への反論として、コーエンは、有名人であることには、多くの人たちの関与が必要であると、主に生産面に注目して指摘する。そしてこれらの協業の結晶を安価に市場から購入できるのは、「名声」の貢献である。消費者が「名声」を与えることで、名声の正の外部効果の結果として、より安価に協業の高度な成果をより安価に手に入れることができるのである。

 

大規模な名声の生産には、広告主、プロモーター、プロデューサーなどの幅広い人々の協力が必要である。これらの人々が名声生産に協力するのは、その過程で利益を得ることができるからに他なりません。その過程で儲からなければ、彼らは仕事をしない。現代の名声の過剰な説明は、スターの努力を低コストで動員するために私たちが支払う代償なのです。商業的なプロモーションは、ファンが絶対的な意味で最も欲しいものを常に与えてくれるとは限らないが、ファンがお金を払ってでも欲しいと思うようなスターを与えてくれる」。

 

しかも個々の消費者の「名声」を与える機会費用は極めて少ない。コーエンがあげた例ではないが、例えばインスタや動画に「いいね」を押す行為はひとりひとりの機会費用はまさに無視するに等しいだろう。しかしその安価な「いいね」行為が集団的に生み出す「名声」の社会的価値は、上記したように市場の効率性、文化の多様性を生み出す原動力ともなる。

 

コーエンの結論は以下である。

 

「メディアの第一人者であるマーシャル・マクルーハンは、メディアがそのメッセージを形づくると指摘したが、メディアを選択し、どのような形づくるかを選択する際の消費者の役割を強調することを怠っていた。競争は名声を生み出すメディアのバイアスを排除するものではないが、ファンがどのバイアスに遭遇するかを選択することを可能にし、それゆえにそのバイアスのコストを最小限に抑えることを可能にしている。要約すると、消費者は商業的名声の世界を自分たちの目的のために作ってきたが、実際にはそれは驚くほどうまく機能している。経済学をよく見てみると、現代の名声の世界は、私たち全員にとって隠れた微妙なメリットを持っていることがわかる」。

 

補足:

フォーカルポイントFocal Pointとは?

ノーベル経済学者のトマス・シェリングが『紛争の戦略』(1960)で説明した概念。お互いに連絡を取ることができない場合の協調ゲームの解を示している。シェリングの表現では、他人がある人がこうするであろうと期待しているだろうと期待する各人の期待値の焦点(focal point)」。例:(スマホなど連絡をとれないケースでどこで落ち合うことができるか?)渋谷での待ち合わせ場所。渋谷のハチ公前、モアイ像の前など。目立ち、ユニークなところ。

 

タイラー・コーエンのフォーカルポイントを利用した議論は、タイラー・コーエン『創造的破壊』での田中の解説に詳しい。またアイドル経済への応用は、田中のこのリンク先の論説や、それを参照した安西信一ももクロの美学~〈わけのわからなさ〉の秘密~ 』(廣済堂新書)が有益である。

 

What Price Fame?

What Price Fame?

  • 作者:Cowen, Tyler
  • 発売日: 2002/03/08
  • メディア: ペーパーバック