岩田正美『貧困の戦後史』(筑摩書房)

 岩田正美氏の書籍はとても参考になる。と同時に「失われた20年」を強調するのはかまわないが、いつものことだがその原因、解消法の認識はないに等しい。つまり日本の社会政策、社会問題、労働問題の研究者がほぼ軒並み陥っている通常の財政・金融政策への無理解というか無関心が本書にも支配的である。それをまず本書のよくありがちで、また絶対に解消されない深刻なバイアスとして指摘せざるをえない。

 さて本書は戦後日本の貧困が、単なる統計的データ以外に、「貧困は、出発点がそのような数字ではないことがしばしばである。そのような統計にさえ含まれない事態が、ある「かたち」を取って社会に表出するのである」(244頁)。

 としてこの戦後の貧困の「かたち」の変容を、時にはその統計データも排除せず利用し、またオーラルヒストリー、当時の文献、証言などに特に力点を置いて、この70数年の貧困史を追いかけている。その力業ともいえる貢献は、まさに骨太という表現がふさわしい。
 
 敗戦後では、「浮浪者・浮浪児」の問題、やがて「仮小屋」やスラムの問題へと、貧困の「かたち」は変容していく。その変容は自然現象ではもちろんない。政府や自治体の強制的・半強制的な政策の結果であったり、または国内外の経済情勢の変化への適応の結果ともいえる。その意味ではこの貧困の「かたち」に注目したのは、あたかも貧困がそれ自体ひとつの生命体のように苛烈な環境に応じて変異を繰り返しているともみえる。

 衰退産業に陥ることにより、旧産炭地にも貧困の「かたち」が生じるし、また高度経済成長後期からは「寄せ場」などで貧困は統計にはなかなか現れない「かたち」をみせている。これらはフィールドワーク(資料&史料調査を含む)を通じて明らかにされていくものだ。

 また本書では、児童虐待、飛込み出産など見えない貧困の「かたち」にも注目している。「かたち」は社会からの視点がある程度の濃度・集約度をもたないと現れない社会的現象であるからだ。その意味でこれらの問題は、著者によれば十分に社会的な注目を貧困の問題として集めていないというわけであろう。

 近年の貧困の問題としてはネットカフェ難民、非正規労働の問題などに焦点があてられている。特に「子どもの貧困」「下流老人」「女性の貧困」などが貧困の「かたち」として社会的に注目され、それに対する政府などの対応はとられているが、著者の見方はそれらの対応の結果、むしろ「それらは実質的には、世代間の分断を引き起こす側面があり、一定の財源を、高齢者から若年層へと振り分ける結果にしかなっていない」(325頁)とする。

 これは著者のマクロ経済への無理解・無視から直接に出てくる見方ではないか。パイの大きさを一定のままであるならば、確かにこのような分断が深刻化する。だが、パイの拡大をそこそこの規模で続けるのならどうなのか? そこへの無関心・無理解こそが、社会の分断を深刻化させるのではないのか? この著者も陥る無関心・無理解を解消することが、むしろ著者が結論でいう「日本的構図に追い込まない積極的な貧困対策」のひとつ、むしろ前提ではないだろうか?

 ともあれ本書は仮にマクロ無視・無理解をよしとして読むならば、とても勉強になる戦後日本の貧困の歴史、上記したが、一種の貧困の進化経済学(進歩の意味ではなく、展開し形態を変えるという意味でのevolution)と読める労作である。

貧困の戦後史 (筑摩選書)

貧困の戦後史 (筑摩選書)