速水健朗『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』

 「日本人は食でつながる民族である」というのがまず前提にある。その状況が、ここ最近ふたつの食にかかわる政治的意識を伴った階層によって分断化されてきているのではないか、というのが速水さんの問題提起である。そのふたつの階層とは、「フード左翼」と「フード右翼」である。これはかなり大胆な仮説である。本書はこの野心的な仮説をいくつかの取材や著者自身の体験も踏まえ、さらには米国や日本の食に対する意識の変遷を追う事で、この日本の中で起きている二極への分断を探ろうとしている。それは『ラーメンと愛国』での作業と同様に、「日本とは何か」というものを問い続ける速水さんの一貫した態度の表れであろう。感想を簡単に書けば、きわめて面白い本に仕上がっている。

 さて「フード左翼」「フード右翼」とは何か。まず注意しなければいけないのは現在時点での政治的スタンスである「左翼と右翼」とは別物であるということだ。あくまでも食の政治的意識(なぜこれが「政治」を伴うのかは両者が食の在り方自体を変化させたいという消費運動、それに伴う政治的活動に結ぶこともあるからだろう)の区分である。

 「フード左翼」とは、「工業製品となった食を、農業の側に取戻し、再び安全で安心なものに引き寄せようという人々だ。それは対抗文化の中で生まれ、商品となる過程を経たものである。「フード左翼」は、政治運動でそれを実現することもあるが、主には消費という形で参加できる政治運動でもある」(本書八三頁)。

 対して「フード右翼」の方は「消費という形で参加できる政治運動」ですらないような感じだ。それは単なる消費活動ーファミレスやファストフードなどでの外食を好み、ジャンク志向ーであったりする。どちからというとごくありがちな食の消費形態である。「フード左翼」的な行為の特異性を描くために持ち出された概念規定であるのかもしれない(著者も「単に産業化した食品産業の商品を従順に消費する人々くらいの意味合いでしか定義」していないと書いている)。

 実際に本書の過半は、「フード左翼」の日本や欧米での経験や、著者の取材が中心といえる。それはそれで興味深い。というか端的に知らない世界が多い。

 速水さんは経済的な要因の分析には消極的にみえるが、「フード左翼」が都市の富裕層がその担い手であり、「フード右翼」が都市と地方の中間層であり、さらにこの二極化が進展しているという仮説自体は、むしろ「所得格差」、特に日本の格差の真因である貧困層の拡大と重ね合わせて考えるのが最もわかりやすいかもしれない。

 また「ラーメン二郎」のことが大好きな「ジロリアン」がどの程度、食の政治的意識を持っているのか、また食の階層意識として「フード右翼」をどの程度ジロリアンが代表しているのか(マス=集団としてどの程度の規模なのか)、など疑問に思うところもかなり多かった。
 他方で、「フード左翼のジレンマ」は面白い。「フード左翼」の「理想」を追求すればするほど、通常の政治的意識の方の「左翼」イメージである、「弱者への配慮」や「新しいテクノロジーへの期待」などが否定されかねない、という問題である。本書ではそのようなケースとして、「フード左翼」の遺伝子組み換え食品についての態度を検証している。
 それと本書では全面的に展開されていないが、やはり「給食制度」のあり方は、食にかかわる大きな政治的意識の闘争の場かもしれない。

 ともかく仮説(フード左翼とフード右翼での食意識の分断)があまりに野心的すぎて、その成否に気をとられてしまうのが、本書の弱点といえるかもしれない。特に既存の政治的思想としての「右翼」からみると、むしろ「フード左翼」的な意識に近い人たちもかなり多い(政治的保守には食料の安全保障や中国などの食品問題などに厳しい態度をもちそれが政治活動にむびつく人も多い。また保守にはもちろん健康志向の人や富裕層もかなり多くその点で右左を分けることはできない)。そこでの右左問題への混同みたいなものが本書で十分に腑分けされているかといえばそうでもない。

 面白いんだけど、なんだか十分にこなれてない、という印象がある。いや、本当に面白いんだけど。