『電気と工事』2015年4月号掲載の記事の元原稿です。
フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』のブームがまだ止まらない。本人が日本にきてテレビなどに出演し、様々なメディアで特集が組まれて、国会などの政策論争にも火が付いた。この連載でも前回ピケティの主張について取り上げたが、今回もちょっと違う角度から、このピケティがもたらした空前の「経済格差」論争を考えてみよう。
日本の経済格差論争はここ20年くらいのものが有名だけど、実は戦前にも独自のものがあった。当時のトマ・ピケティはフランスにはいなくて、イタリアにいた。ヴィルフレド・パレート(1848-1923)。経済学、社会学、哲学など多様な分野で偉大な貢献をなした人だ。例えば経済学では消費者の選択理論で貢献を残したことで有名である。例えばある人たちの状況が経済的な意味で改善したのかしなかったのか、これを評価する尺度が経済学には長い間不在だった。パレート以前では、資本家や労働者の階級的利害がどれだけ増えたのか減ったのかで、経済成長の良しあしが判断されていた。パレートはそういう階級的利害をいわば中和して、ある人の境遇が他の人の境遇を悪化させないではもう改善することができない状態を「最適」なものと考えた。いまでも経済学の中核に君臨している「パレート最適性」の概念である。
また彼は社会学でもエリート理論や統計的手法などで業績を残したが、特にいわゆる「パレートの法則」が今でもよく知られている。この法則は経験則みたいなもので、パレートが実証したところによると、社会の富の8割が社会の構成員の2割に集中し、残りの2割を社会構成員の8割が得ているというものだ。このパレートの「法則」を巡って、「成長と格差」論争が戦前の日本(1920年代)にもあった。
パレート自身はこの「パレートの法則」をもとにして、おおむね社会の低所得者層の所得を絶対額として増やすには国民所得を増やすしかないんだよ、と主張した。このパレートの考えはさきほどの「パレート最適性」の思考にとても近いように思える。例えばパレート以前の古典派経済学とかマルクス経済学といわれた人たちは、社会が発展していくにつれて、ある階級の利害は他の階級的利害と激しく「対立」することが証明されていた。ところがパレートでは、確かに社会の富は偏在しているけれども、取り分の少ない人たちも経済が成長していけば、十分に恩恵を得ることができる、と考えた。つまり社会の2割の人たちの富の状況を悪化させないでも、残り8割の人たちの状況は経済が成長すれば改善する、という発想だ。これを発想だけではなく、パレートは現実の中で実証しようとしていた。
このパレートの成長優位とでもいうべき考えに反論した人が戦前の日本にいた。福田徳三(1874-1930)だ。福田は当時の日本を代表する経済学者だった。福田の業績は、いろいろあるけれども、福祉社会やナショナルミニマム(生存権)的な思想を日本に導入した先駆者として今日知られている。
福田によれば、そもそも「パレートの法則」は社会の所得下層の状況を正確には捉えていない。社会の大多数である所得の下層の人たちの状況は、パレートの主張したように成長によって状況が改善するとはかぎらない。むしろ経済全体が成長している過程ではより貧しくなる可能性もある、と指摘した。またあとで論点になるので覚えておいてほしいが、福田は経済がマイナス成長をするときでも、低所得者の状況がよくなることもある、と考えていた。
もし社会の大多数の所得下層に属する人たちの状況が、経済成長で改善できない可能性があるならば(福田はそれを確信していた)、むしろ格差そのものに注目して、高所得者から低所得者へ所得を再分配した方がいいと考えた。高所得者には課税をして、その税額分を低所得者に与える。具体的には様々な社会保障制度(年金、医療、失業保険など)の充実として、福田は考えていた。
このパレートと福田の意見の対立は、図式化すれば、成長(パレート)vs格差(福田)として整理できるだろう。図式化をさらにすすめると、パイの大きさの切り分け方を変えなくても、パイの大きさが増えればそれに応じて所得下層に人たちもたべる量がふえるよ、というのがパレート。対して、福田はパイの切り取り方自体を修正しないと、全体が増えても損する可能性があるよ、と考えた。
福田とパレートは直接に論争したわけではない。福田がパレートの主張を熱心に批判したのは、1923年の関東大震災以後で、この時にはすでにパレートはこの世にいない。福田は外国語の天災でフランス語も論文を書けるぐらいのレベルだったし、彼の活躍は国際的なレベルだったので、もう少し時代がずれれば直接にやりあったかもしれない。例えばいまみたいにネットが発達していれば直接の論争も可能だったかも。
ところで福田はこのパレート批判から、格差の解消には実は経済が縮小していることもメリットがあるのではないか、と確信するようになっていた。福田のパレート批判は関東大震災というまさに経済や社会が災害によって「縮小」しているときに考案されたことに対応している。福田は「経済が縮小しているときに格差が縮小する」可能性を、この関東大震災のときに統計的に実証しようとした。実際に、福田は学生たちを動員して、上野など東京各地にあった被災者たちの仮設住宅にいき、被災者の生活状況などを調査した。
福田は震災によって富の偏在を促していた財産の相続が一気に減少したことを重視していた。相続財産があったからこそ働かなくても豊かに暮らしていた人たちがいた一方で、相続財産がないか乏しい人たちは一生懸命働かなくてはいけなかった。しかも相続財産が乏しい人たちは、満足な教育や就業機会を得ることが少ないので、一生懸命働いても低所得に甘んじるしかない。ところが震災はこの相続財産を灰塵に帰することで、社会におけるこの「経済格差」を一気に縮小できる機会が到来したといえる。この機会を政府は逃してはいけず、昔あった経済状態を復旧するのではなく、貧しい人たちの境遇をここで改善する機会にすべきだ、というのが福田の復興政策案だった。
福田はこの経済が縮小していく状況を利用すれば、実は低所得者の境遇が改善する可能性がある、という思想―これは「清算主義」と呼ばれたーを、当時のデフレ不況の状況にまで応用していく。この清算主義的発想はいまの日本社会の中でも根強く残っている。社会の弱者に優しい態度をとりながら、同時に経済全体が縮小していくデフレ不況を放置したり推し進める政策に賛成する人たち。この「清算主義」とパレート的な成長路線の人たちとの論争は、ピケティブームの中でも再現されているが、紙数もないので機会をあらためて考えよう。
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