『21世紀の資本』と日本の経済学

以下は『電気と工事』(オーム社)の三月号に寄稿したものの元原稿です。

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 フランスの経済学者トマ・ピケティが書いた『21世紀の資本』(みすず書房)が大ベストセラーだ。五百頁を超える分厚い本格的な経済の専門書が、発売ひと月で十数万部も売れたらしい。テレビのニュースでもとりあげられ、雑誌では特集が組まれたり、また解説本や便乗本が多く出された。

 ピケティの主張は実に明瞭で簡潔だ。主に三点に集約できる。
1)世界中で所得と富の分配の不平等化が進んでいる。2)その原因は経済成長率<資本収益率にある。つまり経済の大きさが拡大するよりも資本の取り分が大きくなる。例外は1914-1945年のふたつの世界大戦とそれに挟まれた期間だけである。3)この世界的所得格差を是正するためにグローバル資産課税やまた累進課税を促進すべき、というものだ。

ピケティは「経済成長率<資本収益率」は、資本主義の動態的な法則である、という。特に21世紀になると先進国や新興国で高い経済成長率が望めないので、この格差はさらに拡大していくことになる。いわば長期停滞論を背景にしている。なお、ここでいう「資本収益率」の「資本」とは、株や土地などの資産をほぼ意味している。

ピケティの本は当初、フランスで出版されたときはさほど注目を浴びなかった。大きくブレイクしだしたのは、米国で出版されてからだ。米国では、リーマンショック以降、経済格差について社会的な関心が高まっていた。例えば、米国社会全体の1%の富裕層が富の大半を独占していることにウォール街での抗議活動は日本でも大きく報道された。ちなみにピケティの本では、1%どころか、先進国の富は0.01%により多く集中していることが問題視されている。

戦前のヨーロッパでは凄まじい格差があったが、その後戦費調達のために金持ちに重税が課せられ、かなり是正された。日本やドイツでは、敗戦で資本が破壊されたせいで、ある程度平等な社会になった。しかも日本やドイツは米国などの新技術を取り入れたりすることでキャッチアップ効果が発生し、きわめて高い成長率が可能だったことも経済格差の縮小につながった。しかし、21世紀になりそのキャッチアップ効果も消滅した、という。

ピケティの議論を日本の文脈でとらえなおすとどんなことが言えるのだろうか? 結論を先に書くと、ピケティの主張をそのまま日本に適用することはかなり無理があるということだ。その理由は二点ある。ひとつは、日本は長期のデフレを経験し、この20年近く経済成長率は低迷していた。これだけをみるとピケティが言ったように、日本は21世紀を待たずしていち早く長期停滞に突入したかにみえる。しかし日本が長期停滞に陥っているのは、デフレだからだ。デフレというのは物価が継続的に下落することで、それは経済全体の総需要(消費や投資)が低迷しているためである。なぜ消費や投資が低迷するかというと、私たち消費者や企業家がデフレ(物が売れなかったり資金繰りが厳しい状況)が長期間継続すると思い込んでいるからである。このデフレを解消すれば、経済成長率の余地がかなりある。

第二点として、日本も経済格差の「中味」がピケティが問題視しているものとかなり違うということだ。例えば、日本のジニ係数(所得の不平等度を測る指標)は先進国の中でもかなり大きい。つまりジニ係数からは経済格差が深刻に思える。だが、日本の経済格差の主因は、急激な高齢化によるものと長期の不況がもたらした低所得者層の増大に求められる。例えば高齢者の所得はもとからかなり格差がある。退職して年金暮らしの人と、引退せずに大企業などに残り役員報酬などを得続ける人を想起すればこの格差はイメージしやすいだろう。日本の高齢化の進展を背景にして、この老年格差が進行している。これはこれで問題なのだが、ピケティはこのような老年格差を問題にしているわけではない。またデフレによる長期停滞は、失業者の増加、非正規雇用の増加などの低所得者層を生み出しつづけてきた。いま日本の生活保護世帯に属する人たちは約216万人いる。さらに今回の消費税増税(5%から8%増へ)の際に、政府は低所得者層に地方自治体を経由して1万円を補助する政策を打ち出した。その対象となる人たちの総数が約2400万人に上っていた。つまり日本では人口の約20%が「低所得者層」に属する。その一方で、富の集中は深刻ではない。つまりピケティの問題視する経済格差は社会のわずかな人たちに富や所得が集中することで出現するのだが、日本ではその種の経済格差は深刻ではない。むしろ日本では「貧しい人が多すぎる」ことが経済格差を深刻化している。

このように経済成長余力が大きいこと、さらに経済格差の中味が違うこと、主にこの二点から、ピケティの議論をそのまま日本にあてはめることは慎重にしなければいけない。このためピケティのいう富裕税の適用も一概には妥当しなくなる。

では、どのような対策が日本では必要だろうか。まずデフレからの脱却が必要である。デフレから脱却することで、失業率が低下し雇用状況が改善することが大事だ。また経済が成長すれば政府の税収も増加していく。政府はこれらの税収を利用して、財政状況の改善や社会保障の安定化に寄与することができるだろう。このようなデフレからの脱却による税収増効果を「インフレ税」とよんでいる。ピケティの富裕税によって貧困層に再分配をするのではなく、このインフレ税を利用することが日本には可能であり、また必要なことだ。

ピケティは、『21世紀の資本』の中では、インフレ税については安定的な財源としては否定的であり、むしろインフレがかえって経済格差を深刻化させると、指摘していた。ところが、ピケティはインタビューの中では、日本については例外的にこのインフレ税の効用を認めているようである。

「財政面で歴史の教訓を言えば、1945年の仏独はGDP比200%の公的債務を抱えていたが、50年には大幅に減った。もちろん債務を返済したわけではなく、物価上昇が要因だ。安倍政権と日銀が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。物価上昇なしに公的債務を減らすのは難しい。2〜4%程度の物価上昇を恐れるべきではない。4月の消費増税はいい決断とはいえず、景気後退につながった」(日本経済新聞)。

 ピケティの『21世紀の資本』は具体的なデータとスタンダードな経済学を応用したすぐれた業績である。しかしその権威を盲信することはない。もちろんピケティの議論を悪用して、自分の都合のいい主張に利用することも自制すべきだろう。残念ながら、日本のマスコミの一部ではそのような風潮もあるようだ。この知的格差の問題もまた深刻である。

21世紀の資本

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