1997年、リフレ派への旅

『杉原四郎著作集 第3巻』(藤原書店) 月報

杉原四郎先生と現代経済論戦

 日本経済は12年もの長きにわたる大停滞を経験した。この過程でさまざまな経済学者・エコノミスト・政策当事者・評論家たちが苛烈な経済論戦を繰り広げてきた。特に小泉純一郎政権が誕生してからの「構造改革」路線、日本銀行の金融政策とそれをめぐる政策論争は、日本の経済思想史上もっとも激しい論争となった。以下ではこの00年代の経済論戦を「平成大停滞論争」と名づけよう。論争点は大きくわけると、平成大停滞は、日本の構造的な問題によるものなのか、あるいは(金融政策などの)政策の失敗がもたらした循環的問題なのか、という意見対立になるだろう。この論争点は、本著作集でもクローズアップされている福田徳三と河上肇の対立や昭和恐慌期での経済論争で戦われていたものと同じ問題が意匠を代えて登場したものといっていい。
 この平成大停滞論戦に微力ながら私もなんらかの貢献をしようと努めてきた。そしてそのきっかけは杉原先生の著作との「運命的な出会い」によるものが大きい。やや大仰すぎるかもしれないが、あえていえば平成大停滞論争のある一面は杉原先生の著作なくしては現出しなかったにちがいない。少なくとも現在、「リフレ派」「昭和恐慌研究会」「国際インタゲ陰謀団日本支部」(山形浩生の命名)などと俗称・正称される論争集団(岩田規久男、原田泰、野口旭、高橋洋一岡田靖田中秀臣、中村宗悦、若田部昌澄、安達誠司飯田泰之さんら)の結集は、杉原先生の著作なくしてはありえなかったであろう。
 「運命の著作」は、杉原先生の『続日本の経済雑誌』(日本経済評論社、1997年)である。本書は周知の通り、杉原先生の日本経済思想史研究の大きな柱である経済雑誌研究を収録した画期的な著作のひとつである。私はこれを池袋のジュンク堂書店で何気なく手にとり頁を捲った。そこには戦前、東京で発行されていた『サラリーマン』(1928年刊)という無名の経済雑誌についての紹介文が書かれていた。杉原先生によれば、詳細は不明とのことである。私はこの雑誌をよく知っていた。伝説的な編集者である長谷川国雄氏が創刊した幻の経済雑誌であった(現在、不二出版から全巻復刻)。私は以前、ある出版社で編集をやっていて、それから大学院に入り直した。編集者であったその十数年前、この雑誌の存在を偶然に知っていたのである。しかもこの雑誌が全巻、長谷川家が所蔵していることも知っていた。この雑誌を知るきっかけには、さまざまな死の思い出が重なるのだがそれを今は書くところではない。ただ私には逃げられない何か運命的なものを感じたものであった。当時、経済学史研究者たちは、メーリングリストを構築し情報交換をはじめていたばかりであった。早速、この雑誌を知っているがどうすればいいだろうか、とメーリングリストに投函した。池尾愛子さんから杉原先生に連絡をするように薦めるメールをいただいた。また中村宗悦さんが関心を示してくださり、後にご一緒に研究することになった。1997年の年末である。長谷川氏のご令息から『サラリーマン』全冊を借り受け、私は自宅でその研究を開始した。また杉原先生とのお手紙でのやりとりが始まり、以後今日まで何十通もの励ましやコメントを頂戴する僥倖に恵まれた。手紙や経済雑誌という旧メディアがメーリングリストなどの新メディアと融合し、交友が展開したわけである。
 1998年の初夏であったと思うが、私の自宅に猪瀬直樹さんから電話がかかってきた。道路公団問題でいまや小泉構造改革の旗手であるが、当時はまだ後年のような闘士のイメージはなかった。私が知っていたフリーのジャーナリストたちと同じ匂いを放つ人であった。猪瀬さんの用件は、私が借り受けていた『サラリーマン』を見たいというものであった。猪瀬さんと自宅で『サラリーマン』を半日語り合った日の思い出は後の「激動」をまったく感じさせないのんびりしたものであった。
 紙数がなく詳細に語れないのが残念であるが、杉原先生との度重なる経済雑誌や経済思想をめぐるご教示によって、私は猪瀬さんや中村さん、そして杉原先生もメンバーになっていただき、「メディアと経済思想史研究会」」(略称MHET)を99年7月に立ち上げることになった。この研究会の核である若田部さん、野口さんらとの研究活動は、後に経済論壇で話題をもたらすメールマガジン「日本国の研究」(2001年〜)に結実していくわけである。このメールマガジンの活動をきっかけにして、私たちは岩田先生、岡田さんたちと出会い、やがてその交流が「リフレ派」と総称されるエコノミスト集団に至った。著作との何気ない出会いがもたらす数奇な展開。私には杉原先生の著作こそそのような天佑をもたらしてくれた思い出深いものである。

杉原四郎著作集 (3)

杉原四郎著作集 (3)

続 日本の経済雑誌

続 日本の経済雑誌