石橋湛山の震災後の経済政策ーデフレではなく物価の安定をー

 石橋湛山関東大震災のときに、どのような経済政策を主張していたか。彼は外債発行の問題、都市計画についてなどいくつもの視点から論説を公表していた。ここでは大正14年の4月に公表された「物価の安定か引下か」の内容を紹介したい。

「我が財界を暗黒にしているものは、政府の経済政策の暗黒である。略 政府の経済政策の暗黒とは何であるか。政府の、金解禁に反対しながら、しかも内心に於いては、兎角物価の引下の方針に固執し、機会ある毎に、或は強いても、其の実現を図る態度である。而して其の根底は実に浜口蔵相の悲観論に発している。蔵相は我国の財政状態を破産と診断した。略 ここに於いて、蔵相は一も緊縮二も緊縮、従って日銀の利下げには頑として反対し、為替相場が少しでも回復すれば、我国力の増進信用の回復の兆の如く思うて、之を喜び、其の結果として、我が財界が、生産に於いても取引に於いても益々萎縮せるを見て、それでこそ正気に復り、破産から免れるのである、としていられる。かくては、生めよ、殖えよ、地に満てよ、と勇気を鼓舞するものではなくして、倒れよ、死ねよ、無くなれよ、と蘇活を呪詛するものである」

政府は財政が破産していると公言し、金融緩和を拒否し、デフレと円高の継続を期待する。まさにいまと同じ。

湛山は財政の緊縮に長期的にコミットしつつ、他方で積極的な金融緩和をすれば、財政の再建できたであろう、と指摘する。しかし、

「惜哉、浜口蔵相は唯だ緊縮することを知りて、其の意義を解せない。唯だ悲観ばかりして、財界を睨みつけている。財界は暗黒に蔽われる外、何があり得よう。」

 湛山はデフレ政策という暗黒政策をやめ物価の安定を採用すべきだという。それはゼロではない。低位のインフレ率をもたらすものである(当時では同時にそれは金本位制への回帰を放棄すること)。

 物価が安定すれば、財界の生産の計画に見通しがつきやすきなり、また大震災の復旧復興政策も予定通り促進できる。それが経済全体の回復と産業振興をもたらすと、湛山は強調している。

 しかし政府のデフレ政策(=財政破産の喧伝とその回避策)はやまず、金融恐慌、昭和恐慌へと続いていく。昭和恐慌までこのときからまだ6年。