書評:金沢幾子『福田徳三書誌』

『日本経済思想史研究』に掲載されたものの元原稿。

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 日本の経済学の歴史に大きな足跡を残した福田徳三(一八七四年―一九三〇年)の本格的な書誌である。それだけにとどまらず、二〇世紀に活躍した経済学者を対象とした最も包括的な書誌でもある。同時に本書は、福田徳三という一個人を通して見る、日本の近現代の文化論としての一面も持っている、単なる書誌を超えた「研究書」でもある。おそらく、今後、福田徳三にとどまらず、日本の経済学の歴史を学ぶものの必携の一冊となることは間違いない。
 九〇〇頁を超える大冊は、全体の構成を大きく四部に分けている。「はじめに」「本書の構成」をうけて、、「Ⅰ 年譜関係」、「Ⅱ 著作関係」、「Ⅲ 関連リスト」、「Ⅳ 福田徳三について書かれた文献(被伝書誌)である。さらに「おわりに代えて:福田徳三断章」が付されている。
 まず「Ⅰ 著作関係」であるが、本書の三分の一を超える分量の「福田徳三年譜」とこの年譜に出てくる「人名・団体名索引」からなる。福田徳三の年譜としては、従来では『福田徳三先生の追憶』(福田徳三先生記念会発行、一九六〇年)などに収録された年譜を参照にする研究者が中心だったが、本書の年譜は分量にしてその数十倍にもなる。現時点での福田徳三の足跡を詳細にたどることができる決定版的なものになっている。年譜自体も工夫がされていて興味深い。単なる事実の羅列ではなく、福田徳三の発言を解明するための参照軸となる、現代の福田徳三研究者の論文からの引用が、著者の考えるキーワードとともに挿入されている。これによって参照するものは、福田徳三の発言が持つ今日的な意義を理解することが可能になっているだろう。一例をあげれば、十九頁にある<ルーヨ・ブレンターノおよび当時のミュンヘン>という見出しとともに、大塚金之助、種瀬茂、菊池誠司らの著述からの引用が並び、福田がブレンターノから何を学び、それが同時代的または現代にどういう意味をもつのかが、読み手に示唆されている。これは本書の中でも最も意欲的な試みといえるだろう。もちろん特定の解釈をいれることで、福田徳三の歩み自体が過度にミスリードされる可能性もあるかもしれない。これは単なる杞憂かもしれないが、あえて指摘しておく。ただ評者の好みでいえば、このような付加的な情報の提供は単に面白いものだ。
 年譜を読むと、福田徳三の経済学・社会政策上の歩みがよくわかる。ブレンターノの歴史学派経済学の影響と、当初からのアルフレッド・マーシャルからの影響がブレンドして、独自の経済学体系に結実していく。さらに師のブレンターノとの交流を通して、比較経済史の観点、市場を構築すべきシステムとして考える「マーケット・メカニズム」的経済学の側面、そしてより実践的な社会政策への取り組みと、そこから芽生えてくる福祉国家の先駆としての「生存権の社会政策」の主張への進展がよくわかる。さらに人生の後半で遭遇した関東大震災における「復興の経済」という観点が、人間の価値の復興を目指した「厚生経済学」として、プラトンアリストテレスマルクスなどの業績を吸収しつつ展開していったことも辿ることができるだろう。
 このような福田の経済思想の基本ラインがわかるだけではない。年譜には、いままで知られていなかった新事実が惜しげもなく提供されている。まず福田の謎の多い私生活である。福田は二度の結婚を経験しているが、後妻の福田とく子については比較的知られていたが、初婚の相手が海軍主計総監村上敬次郎の長女雅代であることが資料の発掘で明らかにしている。最初の妻とは千九百七年四月に結婚し、二年後の〇九年三月には離婚している。その間には、〝次男〟了三が誕生している。また福田には婚外子の長男上一とまた女子が存在していることもわかった。女性関係は盛んであったのかもしれない。
福田の親族の関係も詳細だ。福田の実家が、家族全員洗礼をうけた信仰に篤い一族であること、そのような宗教的な環境が、福田の思想に深い影響を刻み込んでいることに関係している。福田の信仰心は、彼の社会改良への情熱、そして初期の研究に色濃いが、経済と宗教との関係を探究していく学問的態度につながっていくのだろう。
福田といえば、「江戸っ子」で喧嘩早くまた激情家として同時代でも後世でも知られている。そのようなエピソードも豊富であり、「弟子第一号」の上田貞次郎を殴りつけたり(だがころりとそのことを忘れたかのような態度をとり上田を当惑させもする)、また所属した組織(東京高商、慶応義塾、東京商大など)でことごとく上長たちとトラブルを起こす。いや、年譜を読めば、単なる一時的な激情というよりも、「大学改革」という構想の中の格闘ゆえだったこともわかる。師友との交流もスナップショットのように描かれて面白い。
年譜の中で、その他に研究的視点から益の多いものとしては、(一)福田が自分の書庫に受け入れた書物の記録、(二)政府の委員や組織での活動の記録、を特にあげたい。
前者は、福田のその時々の関心や、また交友関係を知るうえで重要である。例えば、北一輝との微妙な関係、宮武外骨との交流、福田以上に個性の強い出版人であった野依秀一(秀市)との意外に長い関係、与謝野晶子との接触などが興味深いだろう。また諸外国の人士との交流も詳細である。ドイツ、フランス、ロシア、イギリスの著名人・著名経済学者との交流や、孫文アインシュタインとの交友も知ることができる。これは福田の傑出した能力である、外国語(ドイツ語、フランス語、英語、中国語、ロシア語、ギリシャラテン語などの)習得のレベルが高いことから実現できたともいえる。
後者については、この年譜で初めて福田の政府活動の全貌がわかったといえるかもしれない。帝国経済会議、中央職業紹介委員会、内務省社会局参与、人口食糧問題調査会人口部会でのそれぞれの活動内容(諮問、報告など)がわかり、政府の政策立案にもかなりの影響をもっていたといえるだろう。この年譜を読んで気が付いたことのひとつに、米騒動をきっかけにして、福田は物価指数などの統計整備の必要性を悟ったこと、それが統計局での活動に関与したことにもつながったということだ。この統計の整備の必要性は、福田の生涯のテーマであり、関東大震災のときの失業調査、、また都市部工場での賃金調査などにも結実していく。その起点が(統計手法自体はドイツ留学時にさかのぼるが)米騒動であることが、年譜の福田の活動履歴から明らかにされていることが、評者には大きな収穫であった。
第二部の「Ⅱ 著作関係」は、(一)福田徳三著作年譜、(二)福田徳三著作目次、(三)福田徳三著作論題索引(付:年譜関連索引)、(四)福田徳三著作論争・批判検索からなる。面白いのは、著作年譜に、年譜よりも徹底した形で、その著作に関連する【福田研究・言及】と標記して、研究著作・論文からの引用で解釈史をコンパクトに示していることだ。また【論争・批判】では、その著作を対象とした論争や批判が、それらの文言の引用・出典とともに掲載されている。研究者には実に便利な項目である。この著作年譜と先ほどの年譜を合わせ読むことで、福田の業績の意味が多角的にわかる仕組みになっていて、この書誌の凄味にも深味にもなっている。ただ著作目次では、福田の中国語訳の目次もあわせて掲載してほしかった。
「Ⅲ 関連リスト」は、(一)福田徳三の講演・講話・演説、(二)福田徳三著作掲載紙誌、(三)福田徳三の献呈本、(四)福田徳三の門下生など(ゼミナール生・受講生・読書会など)、(五)福田徳三による書評・紹介、(六)福田徳三の著作に関する書評・紹介、からなる。これは年譜や著作年譜を相互に補完し、また人間関係や福田の興味の範囲を個別に知るためにも有益な参照項目だ。特に門下生に与えた福田の影響がその後、どのように発展していったかを想像することだけでも楽しい。まさに日本の経済学の大きな根っこに福田徳三がいたことがわかるからだ。
「Ⅳ 福田徳三について書かれた文献(被伝書誌)」は、インターネット以外の関連文献の走査に便利だ。特に福田のジャーナリズム活動を知るためには、彼の方の発信と同時に、彼自身が当時のジャーナリズムにどのように描かれていたかを知ることが重要になる。なんといっても大正デモクラシーの代表者の一人であり、当時のメディアの寵児であった。その寵児がいかように語られていたか、それを知るための新聞や雑誌などの書誌情報は得難いものがある。
最後の「おわりに代えて:福田徳三断章」はユニークな補遺になつている。福田が当時の世界の名著は何かを答えたアンケートの紹介、福田のペンネーム、住居や書庫などの情報が盛り込まれている。
本書を通読して、評者は自分の福田徳三への理解が格段に深まったことを感謝したい。そしてこの感謝はこれからの日本経済思想史研究者すべてが共有するものになるだろう。掛け値なしの歴史的名著である。

福田徳三書誌

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