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FRBのPreventing Deflationという論文がある。昔、『エコノミスト』に部分訳と岡田さんの解説が収録されている。この論文はFRBが日本のデフレの経験に学んだとされるもの。いまも何度も読む価値がある。
このFRB論文を読み直すと、いまの日本の状況を考えるときに非常に参考になる、というか、私たちは同じ失敗を規模を数倍してくりかえしているとしか思えない。この論文では阪神淡路大震災のおきた95年が日本の決定的な岐路だったことを指摘している。つまり長期停滞への岐路だ
93、94年の金融政策がきわめて重要だったが、やはりそのときも日本銀行は大規模な金融緩和の決意に遅れたしまった。FRB論文では「93から94年にかけての時期が、金融政策にとって決定的に大切な時期だったかもしれない」している。
FRB論文は日銀の態度をこう指摘する。日本銀行は大規模な金融緩和政策をとらなかっただけではなく「それどころか、日銀は、ゼロインフレが一定期間続くと、短期的にはデフレかインフレになるという事実があるにもかかわらず、物価上昇率がゼロを続けるという予測に満足しているようだった」。
95年の阪神淡路大震災のときも、急激な円高が起こり、また株安もすすんだ。これに対して日銀は短期金利の切り下げで対応した。しかしFRB論文は、この伝統的な政策である金利の引き下げは不十分であり、さらには当時の経済情勢に照らせば「事実上の引き締め」ととれると指摘している。
財政政策についてもこのFRB論文は阪神淡路大震災の95年が岐路であったと指摘している。ここでもまず金融政策の在り方が問題になる。すでに指摘したが、伝統的な手法(短期金利のコントロール)では金融緩和は不十分、事実上の引き締め状態であった。この前提を頭に入れて財政政策をみる。
この前提では、財政政策に依存せざるをえないのは明白であった(いいかえれば岩田先生らが当時主張していたマネタリーベースを増やす政策を採用すればはるかに財政政策への負担も少なく、また緩和的だったろう)。
FRB論文は、「93年から95年の間にGDPギャップをゼロにする累積的コストは、GDPギャップの6%程度に相当する規模であっただろう。このコストは、非常に大きいものではあるが、デフレと長引く不況を防いでいたとしたら、極めて使い甲斐のあるカネになっていたことであろう」と指摘している。
FRB論文は、「93年から95年の間にGDPギャップをゼロにする累積的コストは、GDPギャップの6%程度に相当する規模であっただろう。このコストは、非常に大きいものではあるが、デフレと長引く不況を防いでいたとしたら、極めて使い甲斐のあるカネになっていたことであろう」と指摘している
しかし実際にはそれほど大規模な財政政策は行われなかった。金融政策も財政政策もあまりに不十分であることで、日本は最後のチャンスであった阪神淡路大震災の年、95年でついにチャンスを逃してしまったのだ。というのがFRBの日本の失われた10年の分析である。
しかもこの95年(阪神淡路大震災、急激な円高、株安の進行)は別な転落の道もすでに容易されていた。FRB論文では不十分といわれた財政政策でさえも当時の与党と大蔵省は問題視し、それを97年からの消費税増税と組みわせて、「財政再建」として公約したのだ。
FRB論文でも97年における消費税率の引き上げが景気を悪化させたと指摘している。つまりは阪神淡路大震災の年、95年を不十分な財政政策と事実上の引き締め政策をとった日本銀行の政策だけではなく、すでに97年以降の増税による経済の一段の落ち込みがセットされていたことだ。
官僚と官僚的政治家(官僚たちの用意する政策のオプションしか考えられない人たち)の最大の特徴は、「以前と同じことを繰り返す」ということだ。繰り返し=前例踏襲こそ官僚の美点wであり、またわれわれの脅威でもある。
規模をはるかに超え、また経済情勢もはるかに深刻ななかで、まったく95年に行われたことと同じ状況が政治家たちによって演出されようとしている。危機対応の予算というのはウソだ。ただ単に前例踏襲、いやそれ以下のものが用意されているにすぎない。
FRBの前記の論文にふれたエントリー(これを読むといかにいまと大差ない面子がいまだに政策中枢にかかわっているかがわかる。要するに「藤井裕久」にからむ人脈が決定的に日本をダメにしていることが歴史的に明らかではないか?)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20091031#p2