田中秀和(1935−2010)

 『ベンガル』の共著者田中秀和さんがお亡くなりになった。ここに謹んでお悔やみ申し上げたい。彼と僕は親子なのだが、ここではふたりの共著『ベンガル』を中心に、彼のこの書に関連する業績だけ振り返っておきたい。いずれ彼との私的なかかわりをどこかで書くこともあるだろう。

 『ベンガル』は、インド由来の野生ネコを交配を重ねることで家庭飼育に向いた猫ーベンガル猫ーを題材にしたものである。1996年に書いたものだから、もう14年前になる。当時は日本はもちろんのこと海外でもベンガル猫についてはほとんど書籍がなく、まさに手探りの状況での飼育そして執筆になった、その意味では(さまざまな猫種が存在するけれども)日本の猫の飼育および猫の本の中では先駆的な業績に属するものといっていいだろう。

 関係からいえば疎遠であった秀和氏から執筆を持ち込まれた経緯は、当時まだあった猫関係の雑誌の編集者からの依頼が機縁だったと聞いている。そもそもなぜ秀和氏がベンガル猫を飼育しはじめたかその経緯は知らない。彼の天性のものであった好奇心とその裏面に随伴していた蕩尽と飽きっぽさを、僕はもう当時すでに十分飽き飽きしていたからである。だが、彼が犬や猫に対してもっていた関心は(幼少期と最晩年以外は)持続的なものだった。

 中味はだいぶ変化したのだが。例えば「猫」ということであれば、普通の(?)家庭猫には彼はまったく興味を示さなかったのではないだろうか。彼の「猫」体験は、その力強さとしなやかさでは頂点である一群に対してはじまっていた。ライオン、トラ、豹、チーターなどなど。秀和氏と当時、住居をともにしたこれらの「猫」たち。そして私も「彼ら(彼女ら)」と寝食を一時期ともにしていた。

 なので、秀和氏から、野生の香りを色濃く残しているものの、結局は家庭内での飼育用に改造されたベンガル猫にその愛玩の対象が変わったことを告げられたときに、まっさきに彼の「老い」というものに思いをめぐらせずにはおれなかった。もちろんベンガルの第一世代(野生ネコからまだ分かれたばかりの世代)の中には、20−30畳ぐらいの室内であれば対角線上に楽に跳躍できるほどの潜在能力があったとしても、上述した「猫」族にくらべればまったくおとなしいものであった。

 ちなみに彼はこれを商売として飼っていたわけではまったくない。最終的にはほとんど贈与していなくなってしまうのだが、すべて彼の愛玩のためにある。

 秀和氏は60年代にアメリカにただのドックショーを見に家族を置き去りに旅立ったこともあった。まったく英語を読むことも話すこともできないのだが、趣味人とは不思議なものである。身ぶり手ぶり、そして彼の情熱で、日本でよりも海外での人脈づくりに長けていた。日本人というか肌の違う人への偏見が根強かった土地にもいったらしいが、「日本からわざわざ来た物好き?」ということでどこでもかの国の物好きたちにも歓待されたそうである。サンキューぐらいしかいえないのだが、まさにオタクは国境を超えるだ。そもそもインターネットもなければ、日本語で「ライオンの家庭での飼い方」などという本もない時代(いまでもないと思うが)に、その飼育の知識はすべてその人の勘と情熱だけで補うしかなかった。趣味とはそのような状況では一種の賭けに違いない。掛け金はたまに彼の生命とその家族の生活であったが。

 ベンガル猫に関しても同じ姿勢であった。わたしが『ベンガル』の執筆を頼まれたときには、上述したようにろくな参考書がなかったが、秀和氏はすでに海外のベンガル猫の開拓者、著名な飼育者たちと連絡をとっていた。その情報や、彼が何十匹も飼っていたベンガル猫たちとの経験が、僕が頼りになるすべてだった。

 そもそもなんで僕は『ベンガル』をやろうとしたのだろうか。実はこの本は印税方式でもなく買い取り原稿なのだが、ものすごく安い稿料だ(信じられないぐらい)。お金ではないとすれば、ではとりあえずの肉親の頼みだから? これも違うかもしれない。たぶん「本を書く」という魅力と、秀和氏とはいろいろあったが、この人物と何か共同作業する最初で最後の機会になるだろうと予感して引き受けたのかもしれない。いや、あるいは単に僕のきまぐれだったのか。

 執筆は順調だった。海外の文献も当時普及しはじめていたインターネットの情報もかなり役立った。執筆自体にまつわるエピソードはとくにない。実は僕自身は動物を飼うのがとても嫌だ。それもいつか書くこともあるだろうが、子供のころの経験が大きく作用している。なのでベンガル猫も秀和氏の自宅に伺ったときにだけ接しただけである。しかしとても綺麗な猫、野生というのは一種の高貴なものに繋がるのかもしれないと、そのしなやかな肢体をなでながら思ったこともある。

 いま読み返してみると、若書きの点もあるが、はじめての啓もう書の経験としては十分な成果だったのかもしれない。これがいまの僕の啓もう活動のベースんひとつになったとはさすがに思えないが、少なくともそれまで編集者の経験があったが、それが著者としての立場に変転したその経験のもつ意味は大きいのかもしれない。その意味では、秀和氏と書いたこの本はいまでもとても好きな本である。

 最後に、彼はなぜ「猫」族ーライオンとかトラとかなどなどーを家庭で飼育しようと思ったか、その契機について家族の一員としての思い出を書いて終わりにしたい。

 記憶の許す範囲で、秀和氏に映画に連れて行ってもらった記憶がない。ただ一回だけ小学校4年ぐらいだろうか、彼の方から映画に連れて行ってやると誘われたことがある。弟たちは連れずになぜか僕だけだ。どの映画館でみたのか記憶に乏しいが、たぶんそれは僕も生まれて初めて映画館でみた映画だったろう。映画は『野生のエルザ』ともうひとつの南アフリカ制作の映画の二本立てだ。

 帰り、父親は近くの堤防の近くに車をおき、ふたりで堤防沿いを歩いた記憶がある。堤防の上から夕日(?)をみた秀和氏はなぜかとてつもなく興奮していたように思える。その興奮は彼の肉体から周辺の大気につたわり、幼い僕の心を脅かした。それからだ、彼が心の中に野望を抱き始めたのは。

 僕は『野生のエルザ』ではなく、併映していた南アフリカの映画ー『砂漠の冒険』の方が何倍も好きだった。気管支の弱い少年が飛行機事故でひとり砂漠に取り残される。少年はトラやサソリの恐怖からひとり身を守る。やがて彼は父親によって救出されるのだ。

 僕はいまのでもその映画が好きだが、しかし二度と見ようともしないだろう。

ベンガル―猫クラブ (カラー・ガイド・ブック)

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