映画『ノルウェイの森』と文月悠光

 Twitterにも初日に観た感想を書いたけど、僕は好きな映画だった。小説を読んでないとわからない場面が多出していたりしたけど、それは小説読んでればいいだけで(笑)、情報として頭にあれば僕は無問題。大まかなところで違っているが、特にワタナベとレイ子との関係など、それも皺が目立たない?キャスティングが予告編でなされているのを見た段階からある程度は覚悟ができていたのでこれも無問題。断片の寄せ集め的な雰囲気がしたり、どう考えてもセリフの棒読みに近いところと生き生きした演技が混在する水原希子の演技なども別に問題としない。僕がTwitterで書いた感想は下。

松山ケンイチ初音映莉子玉山鉄二この三人あるいは前者ニ者のからみが奥深い怖さをかもしだしていてかなり緊張感のあるシーン。水原希子の眼差しがやばすぎる。原作を読んでないと意味がたぶん映画だけだとわからないシーンが前半に連発している。ひとつひとつのシーンがとても印象深い

 特に玉山と松山のふたりが女の子を交換して抱いたということを説明するシーンで初音の表情は、その暗い瞳といい口調といいとてもいい。この物語で一番怖くて美しいシーン。

 ところで『ユリイカ』の総特集 村上春樹 に掲載されてた映画の評を読んだり、『キネマ旬報』の識者の評も読んだ。石原千秋氏も四方田犬彦氏も辛辣であるw まあ。予測できる範囲だが、少しかわいそうであるw 峰なゆか氏の評は読んでて笑った。この人の評はいつもとても楽しい。でも、小説の『ノルウェイの森』でも僕は直子派ではなく、緑派なのである。で、小説版では最後はなんだか緑がどーでもいい扱いをうけているしか思えなく、「僕はどこにいるんだろうか」などといってる場合か、早く、緑の家にいけ! と思わずにはおれなかった(最初に読んだ20代のときも最近再読した40代後半もw)。

 映画版でとても安心したのは、ワタナベが緑に電話をしているときの、「愛の告白」である。その声を聴いているときの、緑の幸せそうな顔ー当然、小説では描かれていないーをみて、僕は、「ああ、よかった。緑は幸せそうに笑ってるよ、万歳!」と思ったのだ。小説緑派は、映画の緑の幸せな表情をみて満足したに違いない(わからんけどw。ワタナベはまたどこにいるかわからないとかいってるがもーどうでもいいw

 さて僕の前記の感想とほとんど同じだな、と思った感想を、『ユリイカ』の文月悠光氏の中みみつけて安堵した。だって他の人の評価があまりに意地悪いからw

「映画『ノルウェイの森』では、直子や緑をはじめとする女性たちが“予定調和”を打ち消すように、肉体を得て生き生きと動き出す。その顕著な例はハツミである。原作では印象の薄い彼女だが、映画では瑞々しい肢体で静かな怒りを表現する。殊に、その鋭いまなざしは全体を貫き、作品自体を支えていた」

 意地悪い人たちが多いなかで、文月氏のような意見に会うとほっとする。そんなに悪くないよ、ていうかいいよ、僕はこの映画は。