アジット・K・ダスグプタ『ガンディーの経済学』

 訳者のお一人太子堂正弥さんから頂戴しました。ありがとうございます。この本は原書が出たときに読みました。なぜ、田中がガンディーをといわれるでしょうが、この原書が出た90年代に『アダム・スミスの失敗』という人間主義的経済学を標榜する人の著作を訳していて、その中にガンディーの経済学が重要なものとして登場してくるからでした。このダスグプタの解釈はそのような人間主義的な経済学としてガンディーをとらえ称賛するのではなく、現代的な経済学の理解と照らし合わせ、ガンディーの経済学的思考がもっていたその先駆的な意義やまた限界、そして経済学的思考ではとらえきれない彼の思想的な意義を詳細かつ実証的に論じているものです。

 最近は文献を十分に追ってはいないのですが、ガンディーの経済学をフォーマルなものにする貢献としては、Das AmritanandaのFoundations of Gandhian Economicsがあります。また上記した人間主義的経済学のマーク・ルッッらが編集した Essays in Gandhian Economicsも面白い論文が収録されていました。ダスグプタの本書はそれらの業績の中でも最も包括的なものであり、ガンディーの経済的思惟を研究する人たちの最高の貢献だろうと思います。

 ガンディーの経済学ーそもそもガンディーに経済学があるのか、という論点は今後も議論になるでしょうーの特徴は、本書にいう「倫理的選好」にあります。倫理的選好は、「省察によって修正され、知識と経験によって訂正され、倫理的原理によって統制される個人的選好」のことです。ここで道徳的な規範と実証は不可分なものと考えられています。そしてガンディーの大きな特徴は、あくまでも個人単位で物事を考えること、個人の幸福が追求されているということです。社会や国家が個人を抑圧することに猛烈にガンディーは抵抗します。

 本書によれば倫理選好に基づくことで、欲望の無限の追求は自制され、所有的個人主義は否定されます。例えば労使関係をみてみると、ガンディーは受託者制度理論という労働者管理企業を想定していて、そこでは経営者も労働者もともに会社の所有者であり、その成果を分け合うものとして想定されています。本書では日本型企業がこのような見地に近いと指摘されています。もっともこの受託者制度理論が、まさに企業の奴隷として個人を抑圧する可能性、あるいはマクロ経済的環境の関連を見失いがちであることなどは、モンドラゴンや奥村宏氏の法人資本主義論を批判する過程で僕は論証したことがあります(拙著『日本型サラリーマンは復活する』)。

 ガンディーの貿易観やまた機械化への抵抗なども現代的な貿易理論と整合的なものや、またそれとは異なる側面なども本書は丁寧に解説していて、伝統的な経済学しか知らない人でも十分に読むにたえるものでしょう。

 僕は上記した人間主義的経済学の中のガンディー的なものがやがて(もともと親和的だったのですが)より宗教的なものと連動していくのを最近まで注視していました。それらの流れと、本書のようなガンディー解釈の流れとを突き合わせてみるのも面白い課題だと思います。

 最近はタゴールとガンディーの論争(アマルティア・センの『議論好きなインド人』に関連する論説あり)に興味を持っています。ガンディーは本書でも戦前の日本経済の在り方に倫理的選好の観点から厳しい批判を向けています。タゴールは日本訪問の初期はむしろ日本の経済的発展に好意的だったように思えます。ここらへんは例えば成瀬仁蔵との出会いなども重要ではないでしょうか?
ところがタゴールも日本の対外政策を次第に問題視していきます。ここでガンディー的な日本観とタゴール的な日本観がどのように関連していくのか、日本の論者なども含めて考えていくと面白いのではないか、と思っています。

ガンディーの経済学――倫理の復権を目指して

ガンディーの経済学――倫理の復権を目指して

議論好きなインド人

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