最低でも10年戦争のつもりで「デフレ論争」は考えてはどうですか?

 さてこれからリフレ派10年選手にすぎないワタクシが偉そうなことをかくつもりです(いつもですか、そうですかw)。

 日銀流理論との論争は、バブル経済以降では、岩田規久男先生たちのマネーサプライ論争から始まりますから、実に20年近く時間が経過しているわけです。日銀流理論が渋々後退をしたのが、リフレ派の政策委員中原伸之氏がいて、その提案する政策を後取りで日銀が採用していったとき(量的緩和政策の採用がそのピーク)でした。

 それ以降もずっと日銀流理論への批判が「デフレ論争」の歴史なのです。そしていまみてみると、日銀流理論やバブル崩壊後の日銀の政策の実務に大きくかかわった白川総裁が極端な物言いをすすめる中で、日銀流理論は最高頂を迎えているかのようです。まあ、多少、オーバーに書いてますが、実際にはそんなに日銀がものすごいことをしているわけではなく、ものすごくなにもしてないから問題なのですが(笑)。

 さて最近は、勝間さんが若年雇用のために脱デフレ政策を主張しています(その立案の基礎は飯田さんでしょうか?)。それに対して(特にリフレ政策にご執心ではなかったはずの切込隊長が連日、熱いエントリーを書いてます)、まあ、勝間さんご本人も認めているように、どんな影響力のある人が脱デフレ政策を主張しても、日銀の政策委員になるかしないかぎり、あるいは日銀を無視して政府通貨やらモラトリアム型政府紙幣政府保証債流動性を大きく付与すればいいと思います。紙幣と完全代替にまで)でも発行する決意となる首相にでもならないかぎり難しいでしょう。政治的な説得はさまざまなルートでいまも行われているでしょうし、反リフレの人の方がよほどコストを引き受けて「政治工作」をすることが可能な現状があるでしょう。

 簡単にいうと、勝間さんが参戦してくれて、リフレないし脱デフレに注目が集まりましたが、それ自体は社会的な問題に関心がいったことで喜ばしいことなのですが、先はまだまだ長く、リフレ政策を求めていく人たちもあと10年(すなわち停滞があと10年も続く! それ自体はディストピア)を耐え、この単純ともいえる論理を言い続ける覚悟が、リフレ派的な論者には心がまえとして必要かもしれませんね。実際にはそんな覚悟は僕にもあるのかわかりませんが 笑。覚悟を無理に強制しているのではなく、過去20年をみると、その可能性もまんざらしゃれではないかもしれません。

 一時期のブームではなく、ぜひ「デフレ論争」に関心のある方も落ち着いてみてほしいと思います。一部のブロガーのネタ扱いも面白いかもしれませんが、そこんとこぜひ押さえていただければと。