高橋誠一郎の好きな浮世絵

 高橋誠一郎の浮世絵展が公開中であることは以前お伝えしました(http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html)。そのとき、前世紀の終りに何を思ったのか、高橋誠一郎の浮世絵と経済学の関係を論文にしたと書きましたが、今日、家の掃除をしていたら偶然書類入れから発見しました。自分でいうのも恥ずかしいかぎりですが、これはいま読むと奇妙な味わいがあります(笑)。その中にいくつか図表をいれているのですが、以下は高橋が最も好きだった鈴木春信の作品「座敷八景 鏡台の秋見」という作品です。今日は暑いのですが、夕方から夜にかけては秋ぽい感じになってきました。ということでご紹介

 論文の中では高橋の浮世絵「史観」が、彼の好みがあまりにも強くでていることで、それが「私観」にすぎない、というちょっと批判的な観点も踏まえて書いたのですが、それでも高橋の春信の美人画への評価は僕も同意する部分が多く、やはり浮世絵の歴史の中で最も偉大な浮世絵師ではないか、と思っています。それに肉薄するのはやはり歌麿でしょうか。

 高橋の浮世絵論の勉強には1、2年の時間を要してしまいました。どうしてそんなことに関心をもったのかいまではまったく忘れました。浮世絵を自分で購入する資金も乏しく、また文献もなかなか集まらずに難渋しましたが、早稲田大学がかなり浮世絵の研究書(特に高橋が参照した文献)を保有していたのが大きな助けでしたね。内田実、野口米次郎、平野千恵子、溝口康麿、ゴンク―ル、クルトなどの著作をどんどん読んだものです。たぶんいまマンガとか韓流の論文でも経済学以外の話題でも書けてしまうのはこのときの地味な作業のおかげかもしれません。

 ところで高橋はフェチな感覚ももっていて、特に足が好きでした。正確には筋肉質な足です。それは春信や歌麿などよりも、写楽の描く女形の足の方が美しいと評したほどです。僕は最初、この高橋の評言を読んだときは、そのほめたたえた写楽の作品を見ていなくて、後にそれを図版ですが、みたときにちょっと驚きました。高橋のちら見感覚というかやはりフェチな感覚を知ってしまった、というか。ここから高橋の浮世絵観のユニークさにひかれて、さらにそれが彼の社会思想に対応すること、本人もそれを自覚的に説いていたことがわかってきました。

 以下が高橋の好きな写楽の絵「三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川」です。左側の女形のちらりみえる足が高橋の好きな「美しい足」なのです。より正確には衣服に隠れている筋肉質なフォルムそのもの、流れるようなしなやかなラインも含めて好きなんでしょうね。

 反対に、高橋の嫌いなものは、「肉の香」が漂ってくるような肉感的で、リアルな絵ですね。この高橋の独特な浮世絵史観には、さすがに専門家も批判した人がいます。林美一は高橋の個人の嗜好が浮世絵二百五十年の歴史を歪めて記述していると『江戸の枕絵師』の中手厳しく批判しています。逆に高橋も批判精神横溢な人であり、内田実の広重論(風景画=春画説ともいえるもの)をまたかれ独自の観点から論駁しています。ここらへんの研究者のやりとりは興味深いものでした。