松尾匡『商人道ノススメ』の山形書評への松尾反論

山形さんの書評をむりやり一言でまとめると「松尾は自分のイデオロギーにあうように商人道を構築してそれで宣伝しているだけ」ということになろうか。

この山形さんの書評への反論を松尾さんが書いている

http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_90808.html

「武士道」の検討は不十分です。すみません→ というとこの段階で、本書の半分は山形さんの反論に屈したことになるのではないか。なぜなら松尾流商人道は武士道への批判と対になっているわけで、その反論する相手が、歴史的あるいは現実的に明確でないと、松尾さんの本が意味をなさない批判行為になるのではないか? この松尾さんの反論の中でも書かれているが、新渡戸の武士道は松尾さんが批判する武士道と違うのか、みたいな印象もある。『葉隠』もちゃんと読んでないという。じゃあ、いったい「誰が」「どこで」いった「武士道」なのか?

 これは『経済政策形成の研究」での松尾論文に対して、そのむかし、僕がした批判にからんでくるが、松尾さんがあそこで批判している反経済学的思想とはいったいだれがどこでいったのか具体性がなかった。それにたいする松尾さんの答えは確か掲示板とか周りにいる人の発言みたいなレスだったような…今回の反論でも「武士道大好きおじさん」がでてくるがやはり不特定多数のそういう「おじさん」が反論の対象なのかな? そういう武士道空気や反経済学空気を批判すること自体が、別種の空気の作成そのものなんじゃないのか? 空気対空気で、結局、単なるイデオロギーイデオロギーとみなされてしまうのではないか? 

 いいかえると身内集団原理=武士道の凶暴性がいったい誰がどこでいったかを明確にする作業なしで、天下り的に書かれていることが、今回の反論でよくわかってしまう。あまり具体的な検証をしていないのであれば、それは山形さんが本書を「政治的プロパガンダ」とみなしても、その過激な表現を抜きにしてこれを否定することは難しいんじゃないか……つうか、そこはちゃんと歴史的に文献調査するように、というのが審査のサジェスチョンだったんじゃないかな。

 あと「商人道」は、松尾さんのいうようほどには、過去の日本の経済思想史の中で、そんなにええもんでもなかった、ということがいえるんだけど。それこそ松尾さんの反身内集団原理としての「商人道」というものが、それこそ清算主義的な行いと切り離すことができなかったという「商人道」の失敗の歴史があることも、確か僕は指摘したはず。ご本人に対してかどうだかパソコンがこの春にクラッシュしたのでデータないのでうろ覚えを書いとくけど。

 なお、画像と本文には因果関係はありません

 ↑の写真、はだか祭と比べると静かなもんずら(なぜか銭ゲバ