松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』

 特定の政治イデオロギーや党派支持にこだわる、いわゆる「党派根性」の強い人たちをいかにまっとうな経済政策にめざめさせるか、本書の試みはこの一点にかかっている。特に安倍政権に批判的な「党派根性」の人たち、たとえばどんな社会事件でも安倍政権の責任にしたりするような態度を強固にもっている人たちに、その姿勢を維持させながらも(どだいこの種の党派根性は本の一冊で解消はできない病理学的なものだと僕は思っている)、安倍政権の経済政策を超えるものを提供し納得させることが、本書の目的である。

 本書の主要な主張を列記すると

1 安倍首相の目的は改憲にある。その改憲のための政治勢力が実現できるように選挙に勝利しなければならない。そのために経済政策で景気を絶妙にコントロールしている。

2 安倍政権の批判をすることは正しい。松尾さんは改憲を批判し、また安保法制も反対だし、本書の最後ではファッシズムにつながるものを安倍政権にもみている。したがって安倍政権を打倒するためには、いまの批判の仕方ではダメだ。多くの日本の「左」派勢力は国民の生活を緊縮やらゼロ成長やらのイデオロギーでさらに過酷な状況においやるような物言いしかしていない。しかし安倍政権がこれだけ個々の政策で批判されても支持が底堅いのは、リーマンショック以降の厳しい不況に戻りたくないという国民の感情にある。そしてこの国民の感情は事実とも適合している(アベノミクスはそれ以前の経済政策よりもはるかに事態を改善している)し、また支持すべきもので、党派根性(これは僕の言葉だが)のある人たちもこれは理解しないといけない。

3 欧米の左派政党やまたスティグリッツクルーグマン、セン、トッド、ピケティらはみんなアベノミクスの第一の矢、つまりリフレ政策を支持している。また拡張的な財政政策を支持し、緊縮政策を徹底的に批判している。安倍政権の金融政策はいわば欧米左派の政策である。日本の左派も積極的にこの政策に賛同し採用すべきだ。

4 3に加えて、安倍政権の政策では、消費増税など消費を軽視する政策がとられ、他方で過剰な設備投資に結び付く法人税減税などに傾斜している。これを問題視し、政策として鍛えることで、日本の「左派」(現状では欧米左派とは違いすぎる)はまともな経済政策を手に入れることができる。たとえば、公共事業政策ではなく、福祉の拡充、最低賃金の引き上げなどを2%のインフレ目標と整合的に行う必要があるだろうし、また財政ファイナンスも積極的に活用すべきだ。

松尾さんの議論で論争点があるとすれば、長期的な視点で天下り的に日本の潜在成長率をゼロ%に設定した議論を行っていることだ(現状の設備投資主導経済ではそうなると彼は決めている)。それを逆用して、だから投資から消費へが政策誘導として望ましいという立場から、恒久的な法人税減税を批判して、また消費増税をも批判している。長期的なゼロ成長論を盾にする議論は個人的には安易にはのれないし、本書でも特に実証しているわけでもない。

 松尾さんの党派根性満載の人たちへの説得が功を奏するか、正直、希望はゼロに近いだろう。また上記の1の前提には、安倍政権がかなり自由自在に景気をコントロールできるということがある。だが景気は国際的要因もからんでくるだろうし、確実に読み切れるものでもない。その意味だけでもかなり危うい見立てではある。せいぜい参照程度にとどめておくべき見解であり、教条のようにこの見立てを採用すべきではないことを読者には注意を促したい。

なお本書では賃金についての分析をしている42ページから54ページの記述は、ぜひ読まれることを期待したい。実質賃金を声だかにさけぶ前にぜひ。

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

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