石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(終わり)

承前

(3)があるが、それは当時の戦時的な統制経済からの離脱=市場の自由化と、基幹産業への公的な投資の奨励といった、戦後経済のテイクオフのための必要条件が書かれている。それは今日的にも興味深いのだが、時間の都合(連休最終日)なので、ここでは最後の(4)を紹介するにとどめる。なお、今回の論説が公表された、占領時代の経済学については現在、仲間たち(W、N、Tの三兄弟)とともに猛烈な勢いで調査・研究をすすめている。その成果が整い次第ここでもお知らせできればと思う。日本の経済学の再開始期における「アメリカの影」とでもいうべきものを意識しての研究となっている。

(4)

 なほ、インフレの問題が非常にやかましくなって来たのですが、私はかねて申す如く日本の終戦以来のインフレというものは、成程インフレには違ひないけれども、普通に謂ふ意味のインフレとは性質が甚だ異なって居る。これを実際の数字に付て見ますと、昨年の10月、即ち終戦直後の混乱が止んだ昨年の10月から、本年3月、金融緊急措置令が布かれ新円の交換が行はれて預金の封鎖をした迄の、日本銀行券の膨張といふものは、約二百億円の巨額に達したのです。昨年9月来の日本銀行の紙幣の発行高が約四百億円の所へ、更に二百億円増加したので、六百億円の紙幣発行高になったのです。是れ即ちインフレに違ひありません。
 けれども二百億円の紙幣はどうして膨れたかと申すと、それは悉く普通の金融機関を通じて民間の手に入ったのです。言いかえれば政府が財政上の必要から通貨の発行を致したのではなく、国民諸君が銀行から預金を引き出した、或は終戦後経営困難に陥った諸会社が、その経理を続けるために銀行から金を借りた、斯う云ふことで、つまり民間の必要から起こった紙幣の膨張です。

 大体において悪質インフレといふものは、政府の財政の膨張が紙幣発行になる場合です。若しくは政府の財政が止め度なく膨張致し、それを紙幣の発行で賄ふならば、インフレは何処までも進んでいくか分かりません。然るに終戦後の紙幣の膨張は、謂わば過去のインフレが紙幣の形になって現れたと申すべきものです。戦時中若しくは終戦直後に出来た預金が引き出された、或いは会社の経理が苦しくなって銀行から借金をした、その借金は何かというへば戦時中膨張した会社の会計を、終戦後の生産の停滞した場合に維持する必要から、已むを得ず起こったものです。斯様なインフレであるならば是は必ず停止すべきものである。

 言いかえればあのインフレは成程一面に於いては紙幣の膨張になりましたけれども、同時に経済界の大きな恐慌を伴って居つたのです。経済界は非常な恐慌であり不景気であると云ふのが現状であつて、普通にインフレに伴ふ景気現象はないのです。ここに今日の所謂インフレというものが、普通に云はれるインフレと非常に性質が違ふ所と私は考える。これは恐慌の問題であり、不景気の問題である。そうすると、どうしても八千万の国民が働けるように早く経済界を立て直し、生産を増進することが根本問題であって、徒にインフレを恐れて、消極策を採り、益々生産を阻害して国民各自の働きを鈍らせることがあっては、せっかくインフレを防止しようとしても、其の目的に甚だ反するものと思ひます。勿論、そうだからと云って紙幣が膨張しても宜しい、物価が上がってもう宜しいと言ふ意味じゃありませんけれども、何よりも先に生産を殖やすと云ふことに着眼しつつ、同時に金融、通貨、物価などの調節を図る、ここに中心の目標がなければならぬを私は信じて居るのであります。

(解説)戦後の石橋湛山が高インフレ期においてもリフレーション政策を唱えたとして彼の戦前の経済論への高い評価から一転、この時期の彼のリフレ論には批判が多い(小宮隆太郎)。実は僕もその一人であった。だが姜克実氏の『石橋湛山の戦後』を読んでその書評を書くなかで、これはもう少し積極的な評価をすべきではないか、と考えを転換した。湛山がここで想定している世界は、簡単にいえば高い(コストプッシュ型の)インフレと不況が共存するスタグフレーションの状況である。このとき直感的には、インフレなのだから金融引き締めが正解のように思える。しかし本文中では湛山は生活苦ゆえのインフレであることに注意を促している。つまりhttp://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20080130でyanoさんとバーナンキが指摘しているように、コストプッシュ型のインフレでは生活苦がさらに加速し、より深刻な不況に陥る可能性が排除されない。したがってバーナンキの発言にあるように金融緩和の検討も選択肢として排除すべきことではなくなるのである。湛山の上記の発言の趣旨は、バーナンキ的な発想を半世紀前に先取りしているとみなすことさえも可能であろう。最もそのためには現状以上に、この占領期の経済、経済政策、そして湛山の思想自体の究明をしなくてはいけないだろう。もちろん湛山もいっているが、生活必需品などの不足を改善する生産の増大が成し遂ることが第一であることは言うまでもない。また高いインフレを(家計などの生活苦をなるべく回避しながら)抑制するには、公衆のインフレ期待をコントロールすることが方法として考えられる。湛山が末尾でいっている「同時に金融、通貨、物価などの調節を図る、ここに中心の目標がなければならぬ」を、現代風にいいかえればそれはインフレ目標であっただろう。もちろんその政策の効果を我々が知ったのたかだか二〇年にもならないわけだが。