石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(その2)

(承前)

(2)

斯様な建前で国民のすべてが今後の経済活動を営むならば、さつき申した通りこの戦争によって領土が縮小したと云ふことは、決して大なる損害と考ふるに足らない。のみならず、今まで領土が広かったといふことに於いて、必ずしも我国は経済的の利益のみを受けて居つたのではありません。
 例えば台湾で砂糖をつくる、これは経済的にはジャワから輸入した方が、はるかに安い砂糖が消費出来たのです。けれども戦争の場合に食糧その他の必要物資を外国から輸入することは危険であり、なるべく国内の自給自足体制を整へると云ふことが、今までの建前だったから、ジャワに比較しては非常に条件の悪い台湾に於いて、特に砂糖の栽培をやった。従ってジャワ糖に高い関税を掛けて日本内地の国民は高価な台湾の砂糖を嘗めて来たわけです。朝鮮の米についても同様であって平和経済の建前から申せば、国民は非常な不利を忍んで居つた。ところが今後は絶対平和日本として再建されるのですから、貿易さへ出来れば、経済的には朝鮮台湾を失った損害はほとんど感じないですみます。

 そこで貿易は出来るかと云ふと、現在既に行って居る。但し連合国の占領下にある間は自由の貿易を日本国民は営むことが出来ません。すべて連合国の司令部を通して物を輸出し、、連合国の司令部を通して輸入しなければならぬ。さう云ふ制約を受けているが決して日本から輸出する物を制限しているのではない。むしろ連合国司令部は、何故、日本からこんなに輸出物資が出ないか、連合国司令部が日本に上陸するや否や、此の点を強調して日本国民に警告したに拘らず、今もって十分の生産を起こさないで、輸入の見返り物資が貧弱だと云ふことを、却って甚だ不満に思って居る状況です。だから今日でも輸出物資が十分出来てくれば、これは必ず輸出が出来る、輸出が出来れば必ずそれに対して海外から必要な物資の輸入が出来るということになります。

 さらに将来を見ますと、これはポツダム宣言に既に述べられ、その後の連合国の文書に繰り返し確認されている通り、或る時機に至ったならば、日本も他の国と同様に自由貿易を許されると云ふことが約束されているのであって、吾々は其の時機が一日でも早く来ることに努力しいたいと思ひます。この希望の日は決してそんなに遠い将来ではないだろうと想像され、そうすれば過去に於いて日本が世界の貿易市場に雄飛した如き状況を再現することも、吾々の努力次第で決して不可能ではないのです。斯様に考えますと日本の将来は根本的に申せば決して悲観するに足らない。吾々は十分立ち直り得るのみならず、過去の日本よりも経済的に申せばもっと繁栄した日本になり得ると云ふ信念を抱くのです。

 またご承知のように日本国民の所得というものは、過去に於ては遺憾ながら非常に低かった。アメリカとは比較するまでもないが。英国に比較しても、過去のドイツに比較しても、おそらく一人当たり三分の一乃至五分の一程度です。何故左様に国民所得が少なかったか、これにはいろいろの事情もある、例えば日本国民の人口構成は比較的子供が多いというような事情もあるのですが根本的にはお互ひの一人当たりの生産能率が低かったからであります。例えば、日本の農家は非常に勤勉ですが、その一人当たりの生産高に至っては遺憾ながら外国のそれに比較して何分の一しかない。各種の工業がまたそうです。斯う云ふやうに生産能率の低いことが国民所得の低かった理由です。

 この能率を高める方法は、これはいろいろあると思ひます。例えば手でやつている仕事を機械化する、或は産業の合理化を行はねばならぬ、さう云ふことに依って吾々の生産能率を高め国民所得もそれに伴って向上すると云ふことは今後必ず行はれると信じます。

続く


(解説)湛山は、植民地を抱えていたために、政治的な理由(いま風ではナショナリズム的理由)から、あるいは今日でもいわれているような(安保上の)自給率を高めるために、自由貿易で得られたはずの利益よりも劣るものしかいままで得てこなかった、と指摘する。しかし植民地を放棄したことによってそのような制約が解かれ、日本は交易の利益を享受することが可能になり、それが日本の前途を希望のあるものにしていると主張している。また他方で農業や工業などの産業の合理化(=いま風にいえば構造改革)によって国民所得を増加させるべきである、としています。もちろん不完全雇用については湛山は戦後のリフレーション政策による雇用増加を積極的に唱えていたことを忘れてはいけません。まさに政策の割り当て(構造問題に構造改革、景気の問題にはリフレ)をきちんと意識していた、おそらく20世紀の真ん中の日本ではごく少数の人たちに属していたと思われます。