クルーグマン解釈学より

 個人的な好みなんだけど、クルーグマンには当然に敬意を払ってはいるが、実のところ彼の書いたものよりも、僕はバーナンキやマンキューの方が好きである(=言っていることに同意しやすい)。これにスティグリッツを加えてもいい。日本人では石橋湛山。まあ、こんな趣味?だから、バーナンキで本を書いたわけだけど 笑。


 さて、http://d.hatena.ne.jp/okemos/20090310/1236649191で、okeomosさんがクルーグマンの論説を訳している。そこで日本の失われた10年がいまからみるとそれほど酷くみえない、ということをクルーグマンが書いている。そしてアメリカが失われた10年みたいな長期停滞に陥るんじゃないか、という懸念で、日本を再考しているようだ。


 ところで、この「日本再考」には補うべき点がある。クルーグマンは下のエントリーでもでてくる『文藝春秋』のインタビューの中で、日本の現状について次のように述べているからだ。


「昨日日本からの経済報告をみましたが、日本はまったく惨憺たる状況ですね。GDPがマイナス13パーセント。なぜここまでにほんがひどい状態になったのか予想外のことです。他国の金融機関が受けたダメージは甚大だと思いますが、どうみても日本にはあてはまらない。考えられる原因のひとつは、世界経済の収縮と日本の輸出依存型経済です。もう一つは、豊富な貯蓄がありながら、投資の機会が少ない日本が少ない日本が、世界中に多くの資金を提供していることです。リスクがこれ以上増えることを怖がり、世界の資本市場は今凍りついています。そのため円が急激に高くなり、日本の製品は世界市場から追い出されています。つまり、日本は、世界経済の縮小と円高というダブルパンチを食らっているのです。危機の最大の源はアメリカの住宅バブルがはじけたことにあったとしても、日本のスランプの方がアメリカよりもひどくなっている。日本はとりあえず、円の切り下げが必要です。そしてこれは非常に難しいことですが、内需を拡大する必要があるでしょう」。


 内需拡大の方途は、いままでの彼の主張と同じように、異時間選択の枠組みの中における、投資優遇税制やインフレ期待醸成というコミットメント政策だろう(インタビューではふれてないが)。


 もっともいまのクルーグマンは「世界経済の予想以上に難しい状況」というものに頭の大部分を支配されているように思える。彼の世界同時不況脱出のキーは、アメリカの財政政策(と連動したFRBの積極的金融緩和)の迅速で大規模な、減税ではなく公共支出であった。 


 しかし現実のオバマ政権へのかなりな失望(財政政策の遅れと規模の小ささへの失望)が、いまのクルーグマンの脳内の大部分を占めているのではないか? この失望感が、彼に現状の世界経済、アメリカ、日本にたいするより悲観的な見方(予想以上に困難な状況に陥った)をもたらしているように思える。