一見すると実証的な発言をしているようであるがマクロ経済関係だけに注目しても疑問点があまりにも多すぎる。社会学的アプローチに実証的な批判精神があるのならば、この書はもっと徹底的に批判して読まれるべき書物。多くの著名人の推薦にまどわされたりイメージで評価することがないようにしないといけない。以下、断続的に更新予定。
1 「著者の調査によれば、高校との実績関係を築く傾向が強いのは製造業の企業。経済がサービス業中心に転換していることを考えると、日本の景気が回復しても実績関係が復活する可能性は小さい」(122頁)。
しかし僕が調べたところ
平成14年(製造業への産業別就職率38.1%:23.1% 前者男、後者女性)平成15年(38.2%:23.1%)、平成16年(43.4%:25.6%)、平成17年(47.9%:27.4%)、平成18年(50.1%:27.4%)、平成19年(52.7%:29.4%) であり、景気の回復によって一貫して製造業への高卒の就職状況は改善している。1の著者の予測は、著作が書かれた時点ですでに妥当していない。景気の悪化で高校と企業の就職関係は悪化したが、著者のいうような産業構造の転換によって製造業への正社員採用が減少したことでその就職関係の悪化がもたらされたとはデータからは支持されていない。なぜこのようなデータの存在が容易に利用可能なのに読者には特定化できない神奈川県内の普通高校X,Y,Zの三サンプルだけで上記のような1の命題(それに先立つ122頁の他の命題)を強く述べることができるのだろうか? 解説をみると2007年冒頭で本書の構想を玄田有史氏に話したらしいが、その時点で上記の僕の利用した統計はもちろん著者にも利用可能だったはずだ。
2 「1990年代以降の日本では、高校生の就職市場が極度に冷え込んだ(略)。その要因は、若者の手が届かないところで起きた以下の三つの変化である。①日本経済が製造業中心からサービス産業中心に移行したこと ②企業が正社員採用を減らし、非正社員の採用を増やしはじめたこと、③大学進学率が上昇したこと」(122頁)
僕のエントリーでは本書のマクロ経済理解(これは本書でも重要な位地を占めている)に検討をしぼる。なぜなら著者のマクロ経済理解とは要するに日本の経済社会が構造的変化を迎えたためにロスト・ジェネレーションが生まれたとする主張だからである。上記の2のうち①については先に書いたように産業構造の転換による高卒就職市場の実績関係の喪失は著者と異なり事実から支持しがたい。
③については、著者は大卒進学が高まったことで、企業には高卒を正社員として採用する企業が増えたからだ、という主張として述べている。しかし大学進学率は景気回復後(2003年以降、昨年まで)も上昇しているが、高卒の正社員としての就職率*1は景気回復後に改善している(下記図参照。出典はここ)。よって③も支持しがたい。しかもこのデータも著者が本書を書いた時点(2007年―2008年?)で事実上利用可能であったはずだ。
②についてはここの「一時的な仕事に就いたもの」、「左記以外なもの」などそれぞれ、もしくは両方足したものの卒業者総数との比率は景気回復後一貫して減少している(総数も減少している)。このデータは必ずしも正社員と非正社員という区分を厳格にしているわけではないが、それでも②の論拠はほとんどないと思われる。
まだ続けられるがもうここらへんでいいでしょう。いいこともいってますが、「景気が回復すれば若者の雇用問題も解決するという考え方は、あまりにも楽観的すぎる。むしろ、労働力需要が低迷した時期の直後に労働力需要が一気に高まった結果、若者のなかでもロスト・ジェネレーション(20代半ば〜30代半ば)とポスト・ロストジェネレーション(20代前半)の間の格差が広がる可能性がある」(212頁)。などは太田清氏の一連の業績(それを反映したと思われる今年度の厚生経済白書など)や僕ですら履歴効果として『経済論戦の読み方』(2004年)ですでに「可能性」を指摘しているし、いまやこの著者の疑わしい上述した構造転換論の中で指摘されるまでもないことでしょう*2。
今後、この著作の以上の大きな問題点(議論の前提の崩壊)を無視してまで本書を賞賛するのかかしないのかで、今日の下のエントリーの後半で書いたことの実証にもなるでしょう(このエントリー自体がその証拠ともなっているのは無論です)。
- 作者: メアリー・C・ブリントン,玄田有史(解説),池村千秋
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2008/11/28
- メディア: 単行本
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