ヌリエル・ルービニ&スティーブン・ミーム『大いなる不安定』

 今回の世界経済危機は十分予測された、そしてその予測を正しくあてたとされるのが本書の著者のひとりヌリエル・ルービニだ。従来から97年のアジア経済危機に関する論文や情報をネットを通じて流布していることで知られていたが、今回は確かにいち早く今回の危機に警鐘をブログなどを通じて流していた。その意味で、多くの論者が今回の危機を「ブラックスワン」(根源的な不確実性)としてみなすのが流行する中、ルービニとその支持者たちにとっては「ホワイトスワン」(十分予測可能)だったのだろう。

 本書の主張は、米国の金融システムが根源的な不安定性にすでに危機の前から何年もの間直面していて、それが破たんしたことが世界に伝播したのも多くの国が米国と同様の金融システムの不安定性に直面していたからだ、とする説明を採用している。そして今回の危機は、別に新奇な危機ではなく、200年も前から繰り返し人類が経験してきた危機と同じ性格をもち、またその対処法も(不確定な副作用はあるが)最後の貸し手の中央銀行の役割、財政政策と金融政策の積極的な活用、金融規制のよりきめ細かい設計など、既存の知恵の方向性でこれまた危機の経済学の伝統に即しているという。

 つまりルビーニは、人類が忘れっぽいこと、過去の経験に無知であること、危機の経済学を放棄してしまったこと、グローバル化や市場改革などに過度の期待を抱きそれが確かに多くの国の貧困を解消することに繋がったのにも関わらず、他方ではここ20年あまり経済危機が頻発する代償を伴っていることなどを厳しく指摘していっているのだ。その書き方は非常に手堅く、奇をてらうことはまったくない。クルーグマンが日本向けに発言したものをまとめた『危機の経済学』もルビーニと似ているスタンスなのだが、クルーグマンの華やかさよりも、ルビーニの堅実な筆致もまた魅力的であろう。

 ルビーニの素描する危機の経済学の図式をみてみよう。危機はバブルに始まる。バブルはある種類の資産の価格が、基礎的な条件からかい離し、はるかに超える水準になるときに生じる。その裏面では、過剰債務現象がみられる。日本のバブルでも不良資産を担保とした融資が頻繁としてあった。バブルの理由は規制の緩さや中央銀行の政策のミスなど多様だ。バブルにはレバレッジがともない。直観的にいうと少数のもとでで巨額の投機を行えるような仕組みだ。しかしバブルはやがて崩壊する。投機の対象となる資産の供給が需要を上回るときだ、とルビーニはいう。今度はレバレッジ解消が急激に始まる。「アメリカでこの過程が始まったのは、新築住宅の供給が需要を上回ったときだ。ブームのために住宅建設が急増したのに対して、住宅価格とモーゲージ金利の上昇で新たな買い手があらわれにくくなった」。

 バブルが破裂すると、資産価格下落による担保不足をさらに担保の追加で補う行為が発生する。だが担保不足の連鎖は止まらない。ついに資産の投げ売りが始まり危機が訪れる。これは確かに従来の危機の描写そのものだ。例えばアービング・フィッシャーが大恐慌のといに描いたものと同じ。

 さてルビーニは日本のバブルは日本銀行の金融政策の失敗によって生じたと書いている。それにいわゆる不良債権処理の遅れが重なる。そしていまだに株価・地価が低迷することで問題解決から遠いとしている。

 もちろん今回の危機と従来の危機との違いもある。「影の銀行システム」(投資銀行やノンバンクのモーゲージ金融会社やSIVモノライン保険会社、ヘッジ・ファンドなどなど)の存在だ。この影の銀行システムへの取り付けが生じ、それへの対応を十分に備えていなかったことが、米国やそのほかの国々の金融システムの脆弱性の由来である。

 さて本書はともかく重厚で詳細な中味をもつので、ここでは今後の予測についてみてみよう。本人も自覚するように予測は実にうまそうだかだ。今後の世界経済の回復はU字型、つまり緩慢で期待外れになるだろうという。潜在成長率以下の状態が何年も続く。その理由は以下だ。特に米国にあてはまる。

1)労働市場の落ち込みが深刻
2)景気後退は中央銀行の金融引き締めではなく、金融システムの不安定性で起きた(ここはルービニが日本の経験と区別しているところだ)。これは「バランスシート不況」だ(わぉ! クーさんやったね)。だがクー氏ではなく、ルービニはケネス・ロゴフらの業績をもとに、レバレッジを解消し、債務削減をするため景気の足をひっぱりその調整には時間がかかる
3)金融システムの修復に時間がかかる。投資のための資金調達も滞る。
4)財政政策の拡大は永遠に続けられない。やめれば景気回復の足をひっぱる。
5)世界的な経常収支の不均衡が解消していない。米国が最終的消費者、その他の国が最終的生産者。米国は貯蓄を増やし消費を減少、この分を中国は消費増で補っていない。「このため世界の需要は純減になる。世界的に生産能力が過剰に陥っていることを考えれば、世界の総需要の回復は最善の場合よりも弱いものになろう」

 日本はどうだろうか? 「バブル後、日本は政策の失敗を繰り返してきた。金融緩和や財政出動は遅すぎ、その解除は早すぎた。ゾンビ銀行を長く生かしすぎ、失われた10年の後半になつてようやく資本注入に踏み切った。」

 今回の不況は金融システムの「影の銀行」の悪影響からほとんど離れていたのに、米国よりも深刻だ。それは日本経済が貿易に依存する脆弱性をもっているからだ。また長期的に難題は山積みだ。

 「社会の高齢化と、移民の受け入れに対する否定的な姿勢によって、人口動態の面から経済成長が抑制されている。生産性が低く、非効率でいくぶん硬直化しているサービス業は変化を抑制する要因になっており、終身雇用などの柔軟性に乏しい社会経済的慣行もそうだ。政治体制も硬直化していて、こういった抑制要因を取り除くために必要な構造改革の実施に消極的だ」

 「長引くデフレや景気の低迷、赤字の急増、円高によって、日本経済の信認が低下するため、今後もこの傾向が続けば日本は深刻な財政危機に向かうだろう」

 ルービニは民主党政権に悲観的であり、財界とのつながりが断たれることで、構造改革の見込みがなく、「想像を絶する事態、つまり、政府債務危機やインフレ率の急騰」そして「決定的な衰退」に直面するかもしれない。

 ルービニの悲観的な予測は日本だけではない。あえてくくれば「包括的悲観」のシナリオを提起しているといえる。それをマネタリーな現象でみれば、デフレとインフレの交代劇だ。その引き金は持続する景気低迷とデフレ、それを解消するために行う財政と金融の拡大がデフレ解消ではなく、より加速化したインフレをもたらすというものだ。ここはクルーグマンなどの同じ危機の経済学系とは見解がわかれているだろう。クルーグマンでは日本のケースでそうだったのだがt、やや皮肉に、デフレを継続しそれを根絶できないことで債務危機が起き、インフレになり、皮肉にも債務危機は去る、というシナリオを提起したことがあった。

 もちろん本書はやや予言のしすぎといえる内容になっている。「包括的悲観」と僕は皮肉ぽく書いたが、正直、ルービニのこの本ではあまり役立つものがない。危機はこれからも絶えず起こり、その根本的な解決はあまりないだろう、というまさに危機の経済学の「陰鬱な経済学」としての役割を述べて本書は終わっている。

大いなる不安定

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