エントリーを書いた手前、少しは見ておくかな、と思い朝生をたぶん10数年ぶりに見た。5分間ぐらい 笑。そのときはちょうど政治家たちしか映らず、「どうして朝生はこんなに政治家がすきなんだろうか? そしてこの政治家たちはどうしてこうもレベルが低いのだろうか?」と情けない思いが一杯した。ちょうどそのときの話題が、今回の世界金融危機が「資本主義の限界か、社会主義の復活か」(表現は厳密ではないがそんな論点)という感じの話しだった。正直、竹森さんの本の題名にもなってはいるんだけれども、別にそんな資本主義とか社会主義なんか今度の事件には関わってないと思う。金融危機自体は単に実践的な緊急避難の話にしかすぎない。
目の前で火事が発生していて、そこに消防車がかけつけて、消火活動する際に、「資本主義の限界か、この消火活動は社会主義的か」なんぞ問答するのはまったく愚かなことである。この種の議論を「根本病」と僕はいっている。
この種の「根本病」の議論を少し真似てみよう(テレビで政治家たちがいっていた話とは違うが)。そもそもサブプライム・ローンの初期の目的は低所得者層の持ち家政策だったのではないか? ではそれは昨日の政治家たちの放言の基準では、「社会主義」的なものだろう。「社会主義」的な政策の破綻が原因ともいえるじゃないか? いやいや、そうではなくそういう「社会主義」的なものを「資本主義」的に商売にしたのがいけないなどなど、この種の戯言は正直どうでもいいのである。
ところで金融危機への対処を完備したモデルで考えるとそれはもっと議論したほうがいいというこちらは本当の「根本病」「モデル病」言葉を優しくいえばファンダメンタリストと、彼らとは違いとりあえず火事は消しとけ、というリアリストたちとの対立について、ポール・ローマーがブログで触れている(hicksianさんのブログ経由)。
http://www.growthcommissionblog.org/content/fundamentalists-versus-realists
話は戻るけれども、前も書いたけれども、どうして政治家のテレビ出演をそんなにありがたがるのだろうか? 確かにその昔、政治家たちが談論風発でテレビで議論するのは目新しいかったかもしれない。しかしもうそんな時代はとうに終わったのではないか? 政治家たちはまったく専門的な議論についていけず、ただ単にテレビや新聞の論説でみかけたような意見を鸚鵡返ししているだけである。たぶん英語圏のソースさえもフォローしていないのは明白だ。その(超越的に表現してしまうとw)おっさん臭いセンスに(僕もおっさんだがw)ついてけないよ。
(おまけ)日本人はともかく「繊細」な議論=「根本病」が大好きである。かの不良債権問題のときも、あるへんな人が排水管にゴミが詰まっているのに、リフレ派はそれをいっきに猛烈な水流で流してしまえ、と乱暴なことをいうと批判していた。そのへんな人は繊細にwゴミをひとつひとつより分けてパイプの詰まりを解消するつもりだったのだろう。今回の問題も金融危機の対処である流動性の大規模な供与もそういう「繊細」な人には「いい銀行と悪い銀行」をわけて資金供給すべきだ、ということになるだろうし、ポールソンプランも「繊細」によりわける作業ができるようにもっと時間をかけて議論(再議論)すべき、ということになろう。そんなことしてたらタイムアウト。今頃本当の大恐慌が来ていただろう。