労働政策研究・研修機構は廃止か業務ほぼゼロが妥当


 下は一部の経済学者たちが提起した要望書批判の文脈で考えたものです。


 政策の基礎となる研究や統計調査は厚労省内部か委託研究が妥当でしょう。なんで独立行政法人を別に設置してそこで行うのか理由がいっさい見当たりません。経済学者たちが書いた要望書のように「米は文化だ」的な研究の「中立性」」や「客観性」が、厚労省自身や他の民間シンクタンクへの委託研究で損なわれると考える理由は皆無です。むしろ同機構が厚労省からの研究を丸抱えすることが、民間シンクタンク、大学での研究受注を圧迫している可能性が強いでしょう。そのため政府の政策研究に深刻なバイアスが発生する懸念の方が強い。

 
 民間シンクタンクや大学に委託ないし共同研究する過程で積極的に使用・参照したデータの公表、研究で用いたプログラムなどのソースの公表を促し、また研究成果がネットで現状と大差ないように公開できるように配慮すればいいのではないかと思います。これ以上の「中立性」や「客観性」としてなにが要求されるのかあまりよくはわかりません。なお同機構がかかわる専門雑誌が厚労省との政策対話の場に学者側がなっている、という指摘がありますが、それならばその専門雑誌を中心に学会組織でも存続が可能ではないでしょうか? それ以上の政策関与としてその雑誌を利用するために同機構を存続させると考えるならばまさに話が転倒していると思います。


 労働大学校ですが、民間に委託するなど市場化テストが可能でしょう。この運営をするために同機構を存続させる経済的理由は微塵もないのです。それと同じ理屈でいえば無限にさまざまな研修センターを国とその関係機関はできるでしょう。


 なお同機構は政府のヒアリングで、研究の政策効果としてニート問題にふれ、「ここ三年で減少している」と返答しています。同機構が今日の混迷を深める日本型ニート喧伝の先駆だったことは認めますが、それをもとにニート対策に予算がつき政府が本腰をいれた以前から、ニートが減少しているとするならば、よくいわれているように景気回復で減少するニートならざるニートをこの同機構の調査をはじめ厚労省ニート定義は含んでいるということで、同機構の研究が政策効果に結び付いたというよりも、上記した深刻なバイアスに汚染されているような一事例でしかないでしょう(ここの段落はあとでリンク先補強予定)。