なにも経済学史研究のあり方に懐疑を提起したからって


 人を誤解させることまで書いて何をコメントしているのだか。http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20071208#c1197267657


 この方のコメント読むとかの池田信夫氏が「経済学史家め」と批判しているのがなんかわかりますねえ。彼のまわり(ちなみに僕は同僚ですがお会いしたことは一度だけw)にはこんな経済学史家しかいなければそう思うのも無理はないかもしれません。あいかわらず(参加者各位の発言まで歪曲して)今度は田中は質問を控えろ、このブログで当日の研究会の感想書くなとかいってるだけですから 笑。


僕のお応えもぜひ参照のこと
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20071208#c1197274122

 
 それと僕のコメント文中にも書きましたが、この方(一会員=一参加者)が匿名を通しておられるので、ここをご覧の方が誤解される可能性が大きいので、誤解を避けるためにわざわざ注記しますが、コメントででてきた平井先生でも山田先生でもこの「一会員」=「一参加者」さんは絶対に違います(投稿名をわけるのは読者を混乱させるのでやめてほしいですね)。


 もっとレベルが高いですよ、おふたりとも。あたりまえですが。


 特に山田鋭夫先生の経済学者はビジョンも個別研究の視点もともにあわせて追求すべき、という内田義彦氏の発言を借りたものにははげしく同意しましたね。これは裏返せば、経済学史家には特段、ビジョン提供で比較優位はない、ということにもつながりますから。


 経済学史研究は役立ちますよ。でもそれには努力と日常的な研鑽が必要でしょう。当たり前ですが、「経済学史は理論家にビジョン=飛翔せる鷲の眼」を提供できます、といわれて、はいそうですか、などと無条件に頷くことなんかできるわけもありません。


 しかしもっとレベル高くならんの? 昨日の「通りすがり」さんのコメントのように明らかに学史以外の人のコメントのほうが比較不能なぐらい経済学史の現状に参考になるのに。


(補)それとこれは書くのは準備不足だしあんまし関心ないんだけども、オーストラリアで経済学史研究を経済学部のカリキュラムから外すという政府の動きがあったと思うんですよ。当日このことも報告者から話題になりましたが、それを撤回させたということです。これだけ聞くと、僕のように「経済学史研究は政策研究などで役立つ場合もあるけれども、それが経済学部でのカリキュラムとしての必要とイコールではない。むしろ思想や歴史あるいは社会学の一部分の方がふさわしいかも」という密なる考えを抱くものには、なんかただの経済学史研究者のまさにザ・既得権確保の政治的運動にしか見えないんですよね。それへの批判もぽろっと会場で口にしたからかなあ(この「一会員」のだまれ発言の感情的由来は)。どこかの厚労省の独法存続の経済学者の要望書と同じにしか思えないんですけども。まあ、ここをご覧の99%の人には関心ない問題でしょうけども。