四方田犬彦『先生とわたし』

 由良君美と著者の生前18年間の師弟関係とその後を描く同時代史。掛値なしの名著。詳細は書かないが僕と同じ経済思想史の専門家が読めばなにかしらの感慨をもつ記述も一部あるだろう。


先生とわたし

先生とわたし


 著者とだいたい十歳下の僕も伝聞したことのある学界・出版界の(書籍では書かれたことのない)世間知がでてきたりその意味で次第に自分たちの世代も「過去」として再整理される時が近づいてきているのか、と思う(でも誰がそんなことができるのか?)。


 由良氏のゼミそのものとゼミのあとで成立していた「親密で真剣な解釈共同体」=「自分も目の前の学生もともに芸術という超越的な存在に帰依している者どうし、平等にして対等であるといった態度」、は僕は幸運にも大学の教養ゼミで経験していたし、ゼミという形式でなければ大学院時代にも多く経験したものだった。ただし今日の僕にはそんな体験はない*1ので、若干残念ではある*2


 本書では後半にジョージ・スタイナー山折哲雄の師弟論を敷衍して、大学の場での師弟関係という政治的関係について深い考察がなされている。そして本書に展開する由良と著者の関係は師弟関係のもつ「不毛な政治性」から最も遠いところに位置している。


 その昔、上記の教養ゼミの先生(近世独逸文学の専門家)が、僕らが「××ゼミ」としばし呼称することを遮って、「××ゼミなんてものはないんだ」と強調したことを思い出す。先生はこれ以上注釈をしなかったが、いまさら思うに本書の題名にあるように存在しているのは、「先生とわたし(たち)」だけなのだから。


(補遺)ところで由良が教え子を動員して取り組んだ『世界のオカルト文学幻想文学・総解説』だが、僕はこれを含む一群の総解説を80年代の後半、会社員時代に仕事と称して何日も(何ヶ月も繰り返し)会社で読みふけっていた。そこにでてくる翻訳は生活費以外の給料をほとんどそそぎこんで古書で次々に購入したのである。この「世界のオカルト文学幻想文学・総解説」は会社員をやめた後のニート時代のほぼあしかけ三年でもよき読書の伴侶・羅針盤であり、僕がいまもちょっとだけへんてこな経済学研究者であるのもこの由良氏らのおかげであることを特にここで感謝しておきたいと思います。

*1:いや、あるといえばある。ここでだけどw ただし平等にして対等どころかなりな確率で匿名さんからバカ・目下扱いされてるのがなんなんだけど 笑

*2:いまの環境でも努力はしているが実際問題としていろいろ難しい。この難しさを語りだすと本が書けるので自粛