中島氏の一連の著作を公で賞賛するのに人後におちないつもりだけども*1、今回の著作はまったくの失敗作に僕には思える。中島氏の持ち味は、経済問題と思われていない領域+その領域の内実が世間的にあまり知られていない+そういった領域を経済学の視点から分析する、という手法だと思う。その意味でこの三条件すべてにこの著作は事実上失敗してしまっている。もちろん経済学的視点がまったくないわけでもなければ、新しい事実の発見もあったかもしれない。
- 作者: 中島隆信
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 単行本
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本書の最大の失敗は、オバサンを事実上「セックス」から分離あるいはそれからの乖離として定義したことで最初から躓いていると思う。そしてこの中島的定義の「オバサン」は非ーセックス市場の担い手として男女間の平等の可能性だとか、男女の差別の経済学的課題に興味深い問題を提起するとされている。「オバサン」の定義はさらに年齢による女性ホルモンの減少からも支持されている。そのため若年女性層の「オジサン」化ともいえる消費行動の数々が見事に欠落してしまっている(具体的な消費行動としてなにを考えればいいのかは面倒なので読者の想像にまかせたい)*2。またオジサンは年齢がいっても男性ホルモンがなかなか減退しないので油ギッシュ(中島氏はこんな表現は使わないが)な欲望が突出してしまう。そこで中島氏がこの対策として持ち出すのが、人間を変える方策である(枯れるとかジジイになるとか)。これじゃあ、ただの説教でしょうが*3。むしろ経済学者だとすればオジサンのこの油ギッシュな選好をみたす市場が欠落しているか、もしくは闇市場化していることを問題にしてそこに公的介入やらコース定理の適用やらを導入してみてはどうだろうか?(つまりその点でモリタク先生の不倫市場論や門倉貴史さんの夜の女の闇市場分析にはるかに及ばないし、この種の問題をあえてさけてしまっているところがなんとも至極残念)。「オバサン」も本当に非セックス市場の問題なのか、どうか十分な論証さえされていない。
セックス市場(別にランズバーグのいってる「いっぱいすればみんな安心」論の範疇のみを考えているのではない、ヨン様市場*4でさえもこのセックス市場ととらえていいだろう)をあえて排除してしまっては、僕には少なくとも興味はない。