適菜収『ニーチェの警告 日本を蝕む「B層」の害毒』

ネットをやっていると一定の間隔で、「素人ですが」とことわった上で、執拗に専門的な見解を批判したり、質問のための質問を繰り返す人が多い。しかも多くは断定的な口調になりがちだ。間違いを指摘してもほとんど認めない。「素人」なのになんで専門家以上の自信があって批判や断定ができるのか不思議だ。

 そんなネットの「素人」さんだけではなく、適菜さんの新刊では社会が素人による反逆をうけているという。冒頭でも紹介されているが、野田政権では、田中防衛大臣や安住財務相などその分野の素人にもかかわらず任命され、そして素人ゆえにほとんど判断力も理解も乏しい発言や行動を繰り返してしまう。安住財務相については、海外の主要紙がこぞってこの素人性を問題視している。当たり前だ。リーマンショック以降の深い経済低迷、そして大震災の影響など、日本の主要テーマである経済について、その関係主要閣僚が、経済無知でEXELIEだけ詳しいような人が就任すれば、何をいわれてもおかしくはない。

「安住氏自身のウェブサイトを見る限りでは、円高よりも14人組のダンスボーカルユニットEXILEに詳しいようだ」(米紙WSJ
「公式サイトから判断すると、EXEILEが得意分野らしい」(英紙『インディペンデント』)

まさに素人の反逆の代表例であろうか。

本書のキーワードでB層という言葉がある。これは「「改革」というキーワードがついていれば、なにを改革するかは別として、そのまま誘導されていく。テレビや新聞の報道、政治家や大学教授の言葉を丸ごと信じ、踊らされ、騙されたと憤慨した後に。再び騙されているような人たち」28頁のことである。

 このような素人の反逆、B層の脅威について、過去何人もの思想家、知識人たちが批判や問題点を指摘してきました。本書でもゲーテニーチェオルテガ、ブルクハルト、アレント三島由紀夫らの名前とその発言が詳細に紹介され、検討されています。適菜さんの本は、過去に宮崎哲弥さんからの紹介でニーチェの訳書である『キリスト教は邪教です!』を読み感銘をうけました。その訳業とまた解説に。そして最近では、上念司さんからの紹介で『ゲーテの警告』のB層論をよみ非常に納得し、ご本人にもお会いする機会を得ることができました。

 適菜さんはニーチェの本などをもとに、B層の性格(民主主義が好き、平等が好き、<格差>に敏感など)を徹底的に批判していきます。特に「高貴な道徳」「人生をよりよく生きること」「優秀であること」「美」「自分を信じること」などの価値が、キリスト教によって徹底的に否定されていること、またルソーなどの思想にもその問題点が深くあることを丁寧に解説していきます。これはニーチェ論としても非常に刺激的です。

 <格差>をどう考えるのか、僕は適菜さんとは違いB層よりといえるでしょう(笑)。格差の是正は、効率性との関係で経済学者の永遠のテーマであることは間違いありません。また格差があるから社会は成長するのか(アダム・スミスニーチェ命題)と社会の成長の結果格差があるのか、というのも経済理論的にもまた実証的にもたぶんずっと経済学者は取り組んでいくのでしょう。その意味では永遠にB層とコミュニケーションをとり続ける物好きな?専門家集団なのです。

 本書には、また至ることろにニーチェ政治学とでもいえるべき見解が展開されていて刺激的です。

ニーチェは健康な社会は、たがいに制約し合いながら三つの類型に分かれると言います。
第一のものは<精選された者>です。彼ら<最上級階級>は<高貴なもの>として<宰相数者>の特権をもつ
第二のものは<権利の守護者><高貴な戦士><審判者>といった第一のものに仕えるものです。
第三のものは<凡庸な者><大多数者>です」85頁。

 これはニーチェにあっては恣意的なものではなく法則であり、また不平等こそが正義であるという考えの核である。「こうしが「正しい格差社会」においては、<凡庸な者>が軽視されることはありません。<例外的人間>が<凡庸な者>を大切に扱うのは義務であるとニーチェは言います。高い文化はピラミッドのようなものであり、それは広い地盤の上にのみ築かれるからです」(86頁)。

 このような政治・社会観はいまの日本では特に刺激的でしょう。適菜さんの本を読むたびに、ニーチェゲーテオルテガなどの思想家、作家を読むこと、つまり古典の重要性を感じます。古典を読み歴史を知り、教養を深めていく。この習慣を身に着けることはきわめて重要です。教養がないと、本当にダメですね。いろんな意味で。

ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 (講談社+α新書)

ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 (講談社+α新書)