ポストケインジアン研究会に出席して:植村博恭(横浜国立大学) 「制度派ポスト・ケインジアンの継承:21世紀のさらなる発展」

ポストケインジアン研究会はここ数年、一年に一回以上は出席しているw。僕自身はポストケインジアンではないので、基礎知識が欠けるので今回もできるだけ事前に勉強。浅田統一郎さんの報告への感想は別のエントリーに書いたので省略。

 

植村博恭(横浜国立大学) 先生の「制度派ポスト・ケインジアンの継承:21世紀のさらなる発展」も面白かった。植村先生の最近著Japanese Institutionalist Post-Keynesians Revisited: Inheritance from Marx, Keynes and Institutionalism (2023)も戦後の日本の経済学者を中心に、日本の制度派ポストケインジアン(JIPK)を描く試みで面白い。日本以外ではボワイエとボウルズらが中心にでてくる。日本では、杉本栄一の「切磋琢磨」creative rivalryの概念を主軸にして、杉本、都留重人、高須賀義博、岸本重陳、宮崎義一伊東光晴宇沢弘文、石川経夫の貢献を整理して、特に「切磋琢磨」の観点からは、マルクスケインジアンがとりあげられ、制度派的な関心が日本のケインジアンの中で形成されていくという流れになっている。以下はあわてて撮影したのでちょっと不鮮明だが、JIPKの最先端の論点未解決問題を植村先生が提示したスライド。面白いと思う。

 

 

個人的な質問としては、一橋大学の流れがわりと強調されていたので、特に「切磋琢磨」概念は、福田徳三の中にマーシャル(ブレンターノ)とマルクスの切磋琢磨ですでにあり、それを杉本が継承した可能性を指摘し、さらに上のスライドでもある(非筒橋大学系経済学者たちの重視する)価格の「所得帰属機能」もまた、福田の生産ー流通の二分法の中で、後者の流通論において価格と所得の同時決定的な話題ですでに問題の方向性が形成されていたとコメントした。

 

と同時にこの一橋系の経済学者たちだけではないが、JIPKに共通してみられるのが総需要刺激政策とくに金融政策への無理解とその効果への懐疑的な立場で、端的にいって清算主義的に陥りやすいことを述べた。それは福田徳三vs石橋湛山から、塩沢氏のその昔あった彼とリフレ派との清算主義(塩沢)と反清算主義(リフレ派)にもつながる話であるともコメント。

 

さらに杉本の「切磋琢磨」は、彼の中で統合されたマーシャル&マルクスに対して、そのような統合に異論を唱えたいわゆる「近代経済学」の安井琢磨との「切磋琢磨」を意味していたし、その後のJIPKといわれる人たちも小宮隆太郎近代経済学側との「切磋琢磨」が中心であり、本書のようなマーシャル・ケインズ的伝統とマルクスとの「切磋琢磨」が日本の経済学では中心にあったように思えないと指摘した。

 

あと基本的な知識として、SMTモデルというのを今回はじめて知った。

Shiozawa, Yoshinori; Morioka, Masashi; Taniguchi, Kazuhisa:
Microfoundations of Evolutionary Economics Tokyo: Springer, 2019

 

西洋氏の書評はこちら

Shiozawa, Yoshinori; Morioka, Masashi; Taniguchi, Kazuhisa: Microfoundations of Evolutionary Economics, Tokyo: Springer, 2019

 

ちなみに最初のスライドにでてくるLavoie(2022)は以下の本だろう。個人的にはPKそのものの基礎知識に欠けるので、このダイジェスト版のような位置にある『ポストケインズ派経済学入門』ナカニシヤ出版が便利だけどw

 

Post-Keynesian Economics: New Foundations

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