いつから経済学史は経済理論にビジョンを提供できると妄想を抱いてきたか?


 この問題はいま書いている本の原稿に採用する話題のひとつなんですが、野口旭編著『経済政策形成の研究』で掲載してある「三木清笠信太郎」(元原稿は「戦争の経済学」:そしてこれが経済学史学会フォーラム「経済学史は経済政策研究の役にたつのか」で行った報告であることを念頭に置いておいていただけると最近の一連の僕の問題意識がフォローできるのでは、と思います)につながるものになります(「戦争の経済学」については山形さんからコメントをいただいてるのであわせてご紹介。http://cruel.org/books/books.html嬉しいかぎりです)。


 テーマは杉本栄一の「プラン」です。


 彼は自覚的に、経済学史が経済理論にビジョンを与えることができると信じ、また一連の著作の中でその具体的な提言や「プラン」を提示しました。代表的な著作は『近代経済学の解明』などで、この著作は今日の日本の経済学史研究者を中心にして深い影響を日本の経済論壇に与えたベストセラーのひとつです。数年前に経済学史家に影響を与えた本というアンケートでこの著作は確か第一位だったと記憶しています。僕は学生時代から何にも面白いとも思いませんでしたが。


 杉本のプランは、一言でいうと「近代経済学」の「マルクス経済学」への総合、であったといえるでしょう。この杉本の「プラン」を事実上ばかばかしいと批判したのが経済理論家の安井琢磨でした。安井はむしろ「マルクス経済学」の成果があるとすれば(強い限定)、それは「近代経済学」の中にこそ吸収されるかもしれないが、「マルクス経済学」と「近代経済学」はいまのところ水と油である、といったわけです(表現はわかりやすさを重視してすべて意訳しましたので了承ください)。しかし杉本はこの安井の批判を受け入れずに、最後までその「プラン」を追求したといっていいでしょう。その「プラン」は経済学史的な著作として結晶せざるをえないものでした。

 
 ちなみに杉本の影響を色濃く受けているのが、伊東光晴氏であり、彼は杉本の前記の著作のあとがきを書いてもいます。また日本のさまざまな反経済学的な思想の源流を形成していることにもなります。いま僕が取り組んでいるのはそうした思想の流れで、「戦争の経済学」はその最初のエピソードを示す草稿でした。


 これで、だいたい田中が「経済学史は経済理論のビジョンを与えることができる」という断定に厳しく反応したのと、さらにその断定を背景にした編著への伊東氏の書評的論点をスルーしたわけが内在的におわかりいただければ幸いです(ちなみにいま書いてる原稿ではスルーしないで批判的に検討してますので、スルーは無視の意味ではないです)。つまりこれって『経済政策を歴史に学ぶ』や『経済政策形成の研究』へと至る、また『エコノミストミシュラン』以来の作業と切っても切り離せない論点で、この種の「鷲の目」を当然視する人たちとは、絶対的な対立なんですよね。


 とこれだけ書けばどうしてこの論点にこだわるのかわかっていただけるのではないか、と思いました。最終的には年来の著作の中でより批判的解明をするつもりでいますのでしばしお待ちください。