リフレ派と再分配問題:読書リスト基本編

 リフレ派はただ単に金融政策のスタンス変更でデフレ脱却を目指す人たちのことであり、「派」といっても価値観や政治信条、もともとの経済学の素養(マルクス経済学、ポスト・ケインジアン新古典派、ニューケインジアン経済思想史など)もバラバラである。

 だがネットでは主に匿名の人たちを中心に、「リフレ派は再分配問題に熱心ではない」というデタラメが跋扈することもある。ここでは上記の「派」としての違いを十分に考慮にいれていただいた上で、いわゆるリフレ派の人たちが書いてきた書籍ベースでの再分配問題についてのブックリストを編んでみた。もちろん包括的なものではなく、各論者の代表的なものだけに限る。また専門論文や雑誌掲載のものは除外した。

1)片岡剛士『日本の「失われた20年」』(藤原書店)
 最終章の「経済政策はどこに向かうのか」には、辻村江太郎の拡張されたエッジワースボックスをもとにして、ミクロ的な再分配政策(社会保障政策、労働政策)の必要性が論理的に明らかにされている。またリフレーション政策についてもその再分配効果が、同じ枠組みで丁寧に論じられてもいる。片岡さんの観点は、市場システムとその欠陥を補う社会機構の要請をともに論じようとしている姿勢に特徴がある。なお僕も90年代から福田徳三の「厚生の経済学」を同じ拡張されたエッジワースボックスで論じている(このエントリーでは上に書いたように専門論文は省略するが)。その点では片岡さんの経済政策への態度とは大きく共通するものをもっている。

日本の失われた20年 デフレを超える経済政策に向けて

日本の失われた20年 デフレを超える経済政策に向けて

2)飯田泰之雨宮処凛『脱貧困の経済学』、飯田泰之「経済成長とベーシックインカムで規制のない労働市場をつくる」(『ベーシックインカムは究極の社会保障か』)

 片岡さんや僕に比較すると、より新古典派的な色彩が強いのが飯田さんの立場だ。基本的には労働市場への規制(賃金規制、解雇規制など)を撤廃し、競争的な社会を目指す。ただしその際にはベーシックインカムで最低限のセーフティネットを補完していく、というのが大まかな飯田さんの主張であろう。また労働上の慣行(退職金制度)についてもそれは働く人の福祉をむしろ阻害すると批判的である。また金融政策中心のマクロ経済政策のコントロールをすることが、再分配問題を好循環にむけていく可能性が強く強調されていて、この点はリフレ派共通の視座といっていいだろう。

脱貧困の経済学 (ちくま文庫)

脱貧困の経済学 (ちくま文庫)

ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

ベーシックインカムは究極の社会保障か: 「競争」と「平等」のセーフティネット

3)原田泰『若者を見殺しにする経済』
 原田さんの再分配問題を扱った本は90年代からかなりの量がでている。ここでは最近著だけを紹介しておく。現在の若い世代が現在直面している困難、また将来の経済的負担を、1)デフレ&低成長の弊害、2)年金の重負担、3)グローバル化の後退、4)若者の経済的格差(非正規雇用の増加など)、5)成長戦略という名の産業保護政策の弊害、6)教育の失敗、という側面から、原田さんらしい鋭い経済学からの視点とデータ分析で論じた快著である。実際に10代の若者たちとの論議も反映されているが、特に最後の教育についての章が豊か。このままいけば現役世代の年金負担は過大になり、消費税ですべて賄うと50%を超す高率になってしまう。今すぐにでも年金の削減が必要。また景気回復がすすめば若者の経済格差も縮小する。日本は相対的貧困率を見ると、「貧しい人がとても多い国」といえる。このためベーシックインカムの導入が重要だ、など丁寧で率直な主張が持ち味だ。

若者を見殺しにする日本経済 (ちくま新書)

若者を見殺しにする日本経済 (ちくま新書)

4)若田部昌澄「経済学は再分配とデモクラシーをどう論じてきたのか:歴史的展望」(『再分配とデモクラシーの政治経済学』所収)

 題名通りの古典派経済学、新古典派経済学、そして今日までの経済学がどのように再分配とデモクラシーを課題にしてきたのかを目配せよく解説した必読の論文だ。この論文で注意を促されているのは、再分配を重視する経済思想が転機を迎えるのは、経済環境の変化ー特に期待所得成長率の低下ーによるものではないか、という論点だ。もしこの論点が今日でも通用するならば、日本の失われた20年は日本の中に再分配経済思想の転機をもたらすことになるのかもしれない。

再分配とデモクラシーの政治経済学

再分配とデモクラシーの政治経済学

5)田中秀臣「ニッポンの意識ー反復する経済思想」(『日本思想という病』所収)、「大震災と復興の経済学」(『日本建替論』所収)

 若田部論文が欧米の再分配経済思想の俯瞰になっているとすれば、僕の上記の二論文は、それを日本経済思想の中で主に戦間期の展開に絞って論述したことになる。前者はデフレ不況の深まりとそこで再分配思想と対極をなす清算主義思想の台頭に注意をむけた点、後者は東日本大震災を契機としてその震災と再分配の経済思想の復興に注意をむけた点に特徴がある。

日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕

日本建替論 〔100兆円の余剰資金を動員せよ!〕

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

日本思想という病(SYNODOS READINGS)

6)稲葉振一郎立岩真也『所有と国家のゆくえ』

 事実上の経済成長への懐疑論者である立岩氏と稲葉さんとの対論。経済成長と再分配政策は矛盾するものではなく、特にデフレ不況の局面では福祉改善の重要な帰結をもつことが稲葉さんによって、主に社会学・福祉関係の用語になれた人むけに丁寧に解説されている。しかし残念ながら立岩氏がそれを肯定することはなく終わっている。その意味では似た論点を扱った岡田靖らの『経済成長って何で必要なんだろうか?』の方が論者間の対立を埋める努力が一定の成果を収めているのかもしれない。稲葉さんのこの方向の努力は、代表作『経済学という教養』や共著『マルクスの使いみち』にも顕著である。

所有と国家のゆくえ (NHKブックス)

所有と国家のゆくえ (NHKブックス)

経済学という教養 (ちくま文庫)

経済学という教養 (ちくま文庫)

マルクスの使いみち

マルクスの使いみち

経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)

経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)