マーシャル研究はここ10年ほど急速に研究が進展していて、門外漢からするとなかなか追いつくのが難しくなりつつある(笑)。僕が学生だった頃は、マーシャル研究といえば、馬場啓之助『マーシャル』と井手口一夫『マーシャル』が必読の文献であった。特に後者はマーシャルの労働の特性についての議論が深く論じられている。井手口氏にはこのマーシャル本の基礎になった『経済学と人間の復位』という研究書があり、そこではマーシャルとマルクスの労働観の対比が深く論じられている。馬場のマーシャル研究は井手口のものに比べると、戦後日本のマーシャル研究の方向性を決めたような印象を持っていた。馬場はスタンダードで、井手口はややポップな感じ(初期マーシャルの海外研究の成果を取り込んでいたという意味で)。
最近、気が付いたのだが、この馬場の「権威」に挑戦した論説があり、興味深く拝読した。坂口正志氏の「有機的成長における複合的準地代の役割ー馬場啓之助氏の所説をめぐってー」(『マーシャルと同時代の経済学』所収)だ。
馬場はマーシャルは経済社会の有機的成長を解き明かすことをテーマにしていたとみなす。そして有機的成長は、マーシャルの経済学体系では、均衡理論と国民所得論のふたつの視点から解説されていく。このとき馬場のマーシャルの有機的成長論のキーになるのは、「複合的準地代」composite qusai-rentである。
有機的成長は長期の問題。長期の成長を促す核になるのは、複合的準地代の存在。マーシャルは準地代(短期には生産設備が増減困難なために、需要増のおきた生産部門には生産設備による短期的独占とそれゆえの超過利潤が出現する。この超過利潤を準地代とした)は短期的な話だが、企業者の革新と労働者などの貢献の複合したものとしての超過利潤が別途存在し、これは長期的には「複合的な準地代」となり、(労使間交渉や利潤分配制によって労働者側に一部支払われることで)賃金率の趨勢的な上昇を保証し、有機的経済成長をも保証することになる、と馬場はみなした。
この馬場の見解に対して、坂口論文は、複合的準地代は短期的な現象にしかすぎず、準地代の一部でしかない。複合的準地代に特別は地位を与える馬場解釈は妥当ではない、とマーシャルの原典などを参照にして詳細につめている。非常に勉強になった。
他方で、馬場のマーシャル理解の発展を少し調べてみたのだが、彼の戦後まもない頃の著作『経済学の哲学的背景』(1951)、『経済学方法論 : 社会形態と経済理論』(1956)には、有機的成長論はもちろん論じられているが、そこには複合的準地代は用語として登場してはいない。この馬場のキーワードが登場するのは、『マーシャル』(1961)になってからである。
馬場にとってこの複合的準地代は、彼のマーシャル経済学の理解の要というか解釈史における新機軸であったと同時に、また『資本主義の逆説』などの晩年の著作のキーコンセプト「資本主義から労働主義へ」を支える経済観念であったと思う。労働主義を保証するだけの社会的リソースは長期的にどこに求められたのか。そこにマーシャル的な(馬場からみた)複合的準地代からなる有機的成長論が背景としてあったように思える。ただそのマーシャル解釈自体について、坂口氏は厳しい批判を与えたといえる。ここらへんさらに調べてみたい。
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関連リンク
馬場啓之助『資本主義の逆説』メモhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20161017#p1