市場ってなんだろうか?−いじめとシートベルトー

 現代は市場の時代だ.ここでの「市場」は日本語では「いちば」ではなく「しじょう」と呼ぶ.市場ではいろんなものが取引されている.食料品,衣料といった生活必需品から,車や家電製品,パソコン,さらに教育や医療,旅行まで多種多様だ.一昔前では市場が扱うものではないと信じられていた軍事サービスや臓器までも一定の枠組みで適法に売買されている.もちろん違法な臓器移植がまん延している国や地域もある.ただそれは,市場本来の機能ではなく,むしろ政府の規制が厳しかったり,またはある国の政府がいいかげんすぎて人々の暮らしが困窮しているからだ.言いかえると市場が満足に力を発揮していないから,不法な取引が横行しているんだ.

 一見すると,市場とは関係ないと思われるものも,市場の機能と無縁じゃないこともある.たとえば,今の学校ではいじめが常態化している.これは深刻なことだけど,いじめの発生原因は,学校を取引する市場がないから起こっているともいえる.例えば,市場が存在すれば,人はいじめに対して適切な価格付けを行うことで,よりいじめの少ない学校に移ることが可能になるかもしれない.もちろんいじめの少ない学校は人気がでるので価格が高くなるかもしれない.そのときは所得が低くて,そのような高い価格を払えない家庭には,政府が補助金を与えるのもいいだろう.これは学校を取引しているようで,実はいじめという「財」について価格をつけていることにもなるだろう.

価格が表示されることはかなり便利だ.例えば,人が学校を選ぶときに,教師の質やそこで何を学べるのか,部活動や学校が協力するボランティアの程度などなど,そういった側面をいまはぜんぶ見ないでおく.そして学校の質を,ただ単にそこで発生しているいじめだけに特化しよう.

この場合,ある学校に入る価格が年10万円だとする.これは,今の話でいうと,人々がその学校で起きているいじめ10万円の価格をつけていることを意味するだろう.もちろんこの場合10万円払うことでその学校に喜んで学んでいる人がいるということでもある.

教師たちの給料は,学生(の親)たちが支払う価格だけに依存する.これは会社の社員の給料が,その会社が売るものに依存することと同じだ.

 さて,いま教師たちは,もっと豊かになりたいと思うとしよう.そのための方法はなんだろうか.例えば,いま年10万円の価格を,11万円にあげたとしよう.これは無駄な努力になる.なぜならいじめのレベルを変更しないまま,ただ単に価格を引き上げても学生たちがほかの学校に逃げてしまうからだ.

 また別な戦略を立てたらどうだろう.たとえば,年間4万円に引き下げて,より多くの学生を集めるという戦略,そう薄利多売という戦略だ.ところが,これも意味がない.なぜなら他の同じいじめのレベルの学校も,同じように価格を9万円に引き下げてくるだろう.そうしないと自分の学校にくる学生が減ってしまうので,かならず他の学校も価格を下げるだろう.すると薄利多売戦略は破たんしてしまう.最初から価格を低下させないほうが自分たちの給料を下げずにすむことに,気がつくからだ.

この場合,先生たちが自分たちの給料を,学校市場というマーケットで有利に展開するためにできることは,そんなに多くはない.一番の正統的な方法は,いままでよりもいじめのレベルを低下させることだ.
先生たちがいじめをなくす努力をしていることが,学校市場に参加している学生や保護者たちに伝われば,その学校の先生たちの給料は必ず上がる.なぜなら,以前と同じ価格のままで,以前よりも高い質の教育をうけられるのだから,当然により多くの買い手が殺到するからだ.こんな仕組みで,いじめを解決しようという提案をする人たちも現実にいる.

 学校市場はイメージしやすかったかもしれないが,それでは自動車のシートベルトについてはどうだろうか?これはシートベルトを売っている自動車関係の量販店の話じゃない.まさにシートベルトをするかしないか,の市場の話だ.もちろんそんな市場は目にみえないし,どこにも一見すると存在しない.

だけど経済学者の目には,シードベルトをするしない市場というものが見える.で,そんな彼らからすると,警察が中心になって行っているシートベルト着用の義務を強化していくことは,そんなシートベルト市場をゆがめてしまう「間違った」政策に映ることが多い.

例えば,ある自動車通勤をしている人が,1日当たり1万円を稼ぐとしよう.これはこの人が1日無事に職場に車でつき,また無事に家に帰れば手に入る報酬である.いま彼がシートベルトをしていこうがしまいが,それはこの人の自由な選択にまかされている.この人は,1日の報酬を得るためには,無事に帰りつくために,シートベルトをするかしないかを自由に決めることができる.

しかし警察がシートベルトの着用義務を厳格化したとしよう.経済学者が調べたところによると,着用を厳格にしてしまうと,シートベルトをちゃんとしている人ほどスピードを出し過ぎて,結局,事故を起こしやすくしてしまうという.これは1日1万円稼げる市場の在り方を歪めてしまう.警察は着用義務を厳しくするよりも,運転手たちのシートベルト市場に自由にゆだねた方がいいのだ.

でも残念だけど,いまの日本はどんどんシートベルトの着用義務が厳格化している.それはなんでだろうか? シートベルトをつけること自体で安心する人たちが多いというバイアス? それともシートベルトを義務化するとそれで警察などの天下りが有利になる仕組みでもあるのか? そこに今度は注目してみたくなる。