飯田泰之「「リフレは不自然」論の裏にあるもの」in『Voice』2013年6月号

 おそらく多くのリフレ派は、この10数年、いくたびか丸山真男の書いた『日本の思想』などの一連の著作を読み、丸山の指摘に同意したに違いない。例えば丸山の福澤諭吉の読解を参照にした岩田規久男日銀副総裁のこの著作はそのようなリフレ派の読解の集大成といえるものかもしれない。

 この飯田さんのエッセイもまた丸山真男の分析をもとに、現在の黒田ー岩田日銀によるリフレ政策への「不自然」であるという批判を解明したものだ。

 日本の政策形成には、明確な目的とその実施への責任(コミットメント)があいまいであり、それをあいまいにする風土が濃厚である。丸山はこれを「作為の契機」(人が目標を明示し、その達成を意図してはっきりと行動する)というキーワードで解明した。いまの安倍首相&日銀、そしてそれを支持する言論人(飯田さんや僕も含む)は、作為の契機は明確である。対して、日本の政策形成やまたそれを論評するメディアの論調は、作為の契機が希薄である。そしてそれを「自然」ととらえる。しかもこの「自然」派ともいうべき人たちが日本の政策議論、実施の場では圧倒多数であり、中核だ。日本の思想の「岩盤」ととらえてもいいだろう。

 つまり作為の契機がはっきりしているリフレ政策の当事者とその支持者たちは、「不自然」にこの日本の「岩盤」(=「自然」派)にはみえるのである。これは非常に強い価値判断と価値判断との争いなのかもしれない。なので日銀が、飯田さんの表現をかりれば、「為替・株価傾向の大転換に始り、景況感の全地域での改善、賃金上昇といった成果を見てなお、アベノミクス、黒田日銀は強い批判にさらされる」わけである。

 おそらく景気が一段とよくなり、日本が長期停滞から脱しても、これら日本の「岩盤」派は容易にリフレ政策の成果としては認めないであろう。そしてリフレ政策にはまったく関係ない問題をなすりつけ(いまでも頻繁に行われている)、それによって自らの頑迷な「正統」を維持するのかもしれない。

飯田さんの新著を頂戴しました。旧作に改訂を施し、現在の政策転換についても補強しているようです。ぜひ経済学の入門として読んでください。