経済学の基本と生存権(作成中)

 まだ作成中。文章いいかげん、図表適当。あとで削除するかも。

 経済学は、個人がある制約(お金、時間など)の中でどのように、さまざまな財やサービスを選択するかに、焦点を置くことが話題の中心になっている。このような個人の選択行動を、「基本的競争モデル」(スティグリッツ)といったり、または「新古典派経済学」などともいっている。「基本的競争モデル」はその考えに批判的な人も含めて、経済学の標準として長くみなされてきた。以下ではこの「基本的競争モデル」を簡単に説明し、さらに加えて生存権を明示的に考察できる枠組みをこの「基本的競争モデル」を若干修正して考察してみたい。

 経済学の標準で考える消費者とは、なによりも「合理的」な判断をする主体である。彼は限られた資源(予算や時間)をどのような財(食糧や書籍など)に支出するか、あるいはどれだけレジャーに時間を使うかなどを判断する、そのときの判断の基準に、彼はそれらの財やサービスの消費にともなう便益と費用を比較して、どれだけの消費を行うかを決める。これが先の「合理的」、という意味である。

 ところでこの合理的な消費選択を行う人物は、自らの好み(嗜好)を十分に理解していて、またその好みは特に断りのないかぎり時間を通じて変化しない。このとき彼の消費選択の主要な関心は、もっぱらその財やサービスの価格がどのように変化し、彼が判断する便益と費用にどのような影響を与えるかに注がれることになる。

 さて、この合理的な消費者の選択を手順を追って解説してみたい。まず彼女(彼)は、自らが直面している制約を考える必要がある。この制約を「機会集合」という。例えば、いま一定の予算を持っていて、それを合理的消費者は、ふたつの財(AKB48のグッズとももいろクローバーZのグッズ)に支出することにしよう。以下では合理的消費者がすべての予算をAKBとももクロで消費する人の機会集合が描かれている。直線AMはすべての予算を支出したときのAKBとももクロの消費量の組合せを示す「予算制約線」と名付けられるものである。この予算線と、その縦軸横軸で囲まれた内側の領域を機会集合と呼んでいる。

 続く