デフレカルチャーの造語を生み出した速水健朗さんの最新作は、都市の些細だが重要な変化(時間決め駐車場から校外のショッピングモールの進展など)に注目した興味深い探究だ。あとがきにもあるように、SF作家のバラード的な世界を速水さんの独自の視点から再解釈したかのような都市論だ。本書の副題にある「ショッピングモーライゼーション」という概念は、速水さんの造語であり、「都市の変化、競争原理を導入し、公共的なスペースが最大限有効活用されるという変化」を指している。例えば従来では郊外のショッピングモールなどは新自由主義(ネオリベ)からの社会の画一化やコミュニティの崩壊を示す殺伐とした風景を指していた。
これに対して速水さんは新自由主義批判の観点からでは、いま起きている都市の変化はつかめない。このショッピングモーライゼーションはそのような旧来の見方への兆戦だ。さてそもそもこのショッピングモールとはどんな由来で誕生したのか。速水さんはショッピングモールと結びつきの深いテーマパークの祖形であるウォルト・ディズニーの業績をます振り返る。そこにはテーマパークというのが物語性を中核にしていた。そしてショッピングモールは、中流階級が郊外で理想的な暮らしをするという物語性を担保とした設計思想によって構築された新しいダウンタウンであったこと(19世紀のハワードの社会政策的な田園都市構想が重なります)。この19世紀的な当初からのショッピングモールと、ディズニー的なテーマパークが重なるところに、今日のショッピングモールの独自性が生まれる。と同時に特定の階層のためだけのものではないものとして今日のショッピングモールも変容している。
後半は日本の新しいショッピングモールを扱っている。二子玉川、たまプラーザ、成城学園前の駅に接続したモールの特徴をあげ、なぜ都市ではショッピングモールがこれほど増加していくのか、それを速水さんは都市の地価の高さと収益性にその原因を求めている。そして規制緩和がその増加の後押しをするとともに、08年以降の再規制の中でふたたびモールの増加率が低迷していることも指摘している。
日本のショッピングモールはいわば地域独占体としての東京電力に似ている。初期の固定費が巨額で、後発するモールの開発業者は簡単に競合するモールをつくることができない。自然独占事業体に似ているので、出店している店舗の価格は高めに設定されるかプレミアムが発生している。例えば観光客目当てのショッピングモールなどはその典型かもしれない。あるいはモールに出店する企業の多くは独占競争的なチェーン店がほとんどであり、あたかもそれは(企業間の支配関係はないが)東電のファミリー企業群が、独占的余剰を分け合うのに似てもいるだろう。またはディズニーのように、周辺に与える外部性をすべてのみこみ(=外部経済の内部化)、完結型の経済圏として最新のショッピングモールはあるのかもしれない。ここらへんはもっと考えたいところだ。
本書で展開されたショッピングモール論はいろんな発想を引き出してくれる。
都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代 (oneテーマ21)
- 作者: 速水健朗
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/08/10
- メディア: 新書
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