豚インフルエンザとパンデミック(世界規模の流行)の経済学

 メキシコ、米国での豚インフルエンザ禍が非常な関心を集めています。本ブログでは、このインフルエンザについて何度か話題にしてきました。以下ではこのブログの過去のインフルエンザ関係のエントリーをまとめ、最後に「パンデミックの経済学」について簡単に触れる予定です。


速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090130#p2


書評:『史上最悪のインフルエンザ』 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20090125#p1


タミフル問題を考える素材集http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070330#p1


強毒性新型インフルエンザの脅威&新刊予定ほか http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061215#p1


 このブログで関心をもってきたのは、1918年のパンデミックである。上記で紹介した速水やクロスビーの労作を中心にして、当時の世界的な規模でのインフルエンザの流行が実証的に明らかになりつつある。たとえば日本では45万人の死者、米国でも67万5千万人の死者、全世界では推計4000万人の死者が当時出た。交通網の整備や人口の集中度などがやはりパンデミックが死亡率を高めるのに貢献しているようであり、18年当時とは比較にならないほどの都市化(人口の集中度)と国際的な人的交流の発展によって、インフルエンザの脅威は比較できないほどであるともいわれている。


 ところでこのエントリーid:ITOKさんが教えてくれた論文を流し読んだが、その18年の大流行と比較して今日の特色として考えられるのは(上の速水本での記憶にも基づき)

1 18年のケースでは、都市部と地方では死亡率に大きな違いがあった。都市部の方が大きい。しかし今日では、交通網の整備などで都市部と地方での有意な違いはないかもしれない

2 18年当時では低所得な階層で特に死亡率が高かった。今日でも貧困ラインの世帯や、また日本でのマイノリティー(外国人労働者など)に大きな影響が出る懸念があるだろう。

3 18年当時では、都市部の住民は比較的医療サービスを受けやすい環境にあったが、医療サービスの供給を過度にこえる需要が存在することで、かえってインフルエンザの集団発生に貢献してしまった。たとえば狭い医療空間の中での患者や関係者の密集など。

4 18年当時では保険に加入していた人たちは経済的な負担をある程度回避できたが、この保険でも低所得者層には死亡率の面で高所得者層に比べて不利だった(保険は正常財:所得が大きいとより購買量が増える財)。また労働者が死亡することで賃金の高騰があるという仮説は短期的にしか(スマヌ、急いでたので「短期的にしか」を入れわすれてた)観察されなかった。一部の業態では利益が減少したが、医療サービス関連などは利益が改善した。これらの事例は今日でも観察できる可能性が大きいだろう。

5 18年では米国のフィラデルフィアや、また日本の軍艦「矢矧(やはぎ)」事件のように、公的な場所に人々を閉じ込めることが、猛烈な死亡率の高まりに貢献してしまうことになった。対してセント・ルイスでは公共空間の閉鎖などで損害を抑えることに成功した。


 過去の教訓として重要なのは、トマス・ガレットが「パンデミックの経済学」の中で述べているようにい、公的機関の協調であろう。これら政府の協調が失敗しないためには、人々の公的機関の情報への信頼性が何よりもキーになるだろう。その点で政府・公的機関が、今回の豚インフルエンザ問題でどのような情報のコントロールをすることができるのかどうかが、最初の試金石となろう。