松尾匡「リスクと決定から社会主義を語る」

  社会主義理論学会編集の『資本主義の限界と社会主義』に収録された松尾匡さんの新しい論文です。しかしこの論文集まさかもらえると思ってなかったので買ってしまってたw しかもよくあることだけど買った翌日に大学にいくと来てるとかの必勝パターンww 

 さてこのリスクを最も多く負担しているものに組織の決定を配分するのが最も効率的ではないか、という命題(以下略してリスク・決定テーゼ)を歴史的な事例や現実に応用していく対話調の読みやすい論説です。

旧ソ連でのコルホーズの運営などをみても一部の上級官僚、政治家たちの「国家資本家階級」のコントロール。でも「国営農場」ではなく「農民の協同組合」を装ったのは、不作のリスクを政府がかぶりたくなかったから。不作でも工場労働者には一定の支払をしなくてはいけないが、コルホーズの方は不作のリスクは農民がかぶり、他方で「国家資本階級」は豊作・不作に関わらず一定の分け前をピンハネ(安く農産物仕入⇒製粉工場などの破格の値段で売却して上前はねる)。

旧ユーゴの労働者管理企業の事例。古株労働者と新参労働者との世代対立が、過小な設備投資をまねく。なぜなら古株が消費せず蓄積した成果を新参が消費してしまうと予想すると、古株もそんな蓄積をしなくなるから。これを防ぐための工夫としての年功序列制、会員権方式がある。前者だと古株は新参の生き残りをできるだけ少なくする(極端では自分以外は皆パートにしてしまう)、後者は会員権を高額にしてやはりインサイダー(企業に残るボスたち)とアウトサイダー(パート労働)の区別を積極的にすすめていくだろう。ところで旧ユーゴはこの世代対立を回避するために設備投資のための資金調達を(上のように古参にまかすのではなく)地域の企業が管理する銀行を創設。しかしこの銀行は身内の企業に融資で差異をつけることができず、どんどん無差別融資⇒高いインフレに(他方で労働者への分け前もどんどん増やしていくコストプッシュの側面もあり)。この高インフレと民族対立が旧ユーゴ崩壊の原因。おまけにみんな平等すぎて、プチ権力もってる工場長が殺害される「工場長殺し」が起きた旧ユーゴ。

上記旧ソ連と旧ユーゴともにリスク・決定テーゼからいうとリスクと決定の配分がミスマッチなためにムダな設備投資が行われやすい。

では、資本家企業はどうか?資本家は出資者。労働者のリスクや事業のリスクをかぶるシステムとして出来高払い(労働者へのリスク丸投げ)から賃労働制(リスクにあまりよらず報酬与えるシステム)への以降で、資本家もリスクを担う形が一般的に。でも資本家が追わないリスクはいっぱいある。他方で資本家だけが相変わらず独占的に決定できる資本主義には固有のムダが発生しやすい。

例えば労働集約的な分野(介護、学童保育、沿岸農業など)のように労働者がほぼすべてのリスクをかぶるものには、労働者に決定権を与えるのが効率的。

ところで労働者の間の合意が得られないと資本が登場する。例えば部門ごとの専門知識もつオタク労働者はお互いの仕事が理解難しい。部門間の合意が難しいので外部の出資者がえいやと資本投入で事業全体がうまく回る可能性がでてくる。他方で部門間が合意できれば少ない資本や労働者同士の出資でうまくいく。

またリスク自体が減少していくことでも決定権の配分は変化する。ニーズをほぼ把握している場合の生協といった消費者主権の組織など。リスクの変化によって決定権の配分がかわることがムダをなくして望ましいのであれば、企業・組織の主権の変更ルールがより柔軟になることが望ましい。

大概こんな感じの内容です。あえて対話調(ヘンテコ革命家くずれと地下アイドルもどきとの無理無理対話w)にする必要があったかだけは疑問ですがw

関連するリンク先:リスクと主権の配分:松尾匡氏との対談(ミュルダールを超えて第13回)

資本主義の限界と社会主義

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