NHK Eテレ「日本人は何を考えてきたのか 第8回「人間復興の経済学をめざして」雑感

 河上肇と福田徳三についての特集番組。まずは素直にこの奇特な企画を称えたい。日本の経済学が試行錯誤しながら時代とどのように切り結んでいたかを知る貴重な企画。ただしこれも素朴な感想だが、「旅人」と称するガイド役の内橋克人氏の思想がこの河上と福田の対比をかなりミスリードしているのが難点。

 清野幾久子、住谷一彦、一海知義、西沢保、宮島英昭、王暁秋、田中秀臣、そしてスタジオの八木紀一郎各氏のコメントはかなり福田と河上の対比とその時代性を考えるうえで参考になるだろう。それだけに内橋氏の端的に余計な介入はこの良企画の障害でしかない。

 また番組の一見するとたわいもない河上肇と福田徳三という対比自体にも問題はある。旧来の日本経済思想の把握の仕方が、マルクス経済学的な史観に拘束されているが、今回の企画ももろその特定の把握の仕方を前提にしている。枠組みがマルクス経済学に毒されている話ですが、こういうことだ。

 マルクス経済学が日本の経済学の流れを扱うときには、福澤諭吉自由主義経済学)⇒福田徳三(社会政策:政府介入の必要)⇒河上肇マルクス経済学)と発展をとらえる。つまりテーゼ⇒アンチテーゼ⇒ジンテーゼ

 日本の戦前の経済学を、福田と河上でとらえるということは、いま風でいうと新自由主義的な経済学を乗り越えた福田徳三の政府介入肯定経済学を、さらにマルクス経済学の河上が止揚するという見方になる。これはずっといまに至るまでマルクス経済学に影響を受けた人たちの史観。ここに重要なファクターが欠如してしまう。その「欠如」の代表例は、石橋湛山自由主義的な経済学は福澤諭吉などとしてとっくの昔に乗り越えられたとみなされてるので、石橋湛山なんかも一緒に扱われる。現にこのEテレのシリーズでもこの回の前に扱っている。このため昭和恐慌のときに河上と福田があたかも清算主義でタッグを組んだように、石橋湛山と論争を繰り広げたことは無視されてしまう。

 僕が取材をうけたときには、戦前の経済学をみるときは、従来のマルクス経済学史観に汚染されて河上と福田の対立だけを追わないで、現代意義もあるので石橋を含めた三者の対立関係でみるようにしつこく要求したんですが容れられず、僕の収録部分も石橋には触れないようにいわれた(笑。

 また内橋氏の解釈が事実上の誤解釈を誘導していることも見逃せない。 内橋克人氏のいうように「市場主語から人間主語へ」なんて発想は、河上肇にも福田徳三にも希薄。ヒューマニズム的な見地は両者の最も否定するところだ。河上肇は日本というのは人格中心ではなく国格中心の国。その枠組みの中で経済学を考えてたのが前期。後期はその枠組みを放棄して共産主義社会が理想。人間の位置はすべて、国や共産主義社会の主語に従属。

 福田徳三にいたっては、「市場主語」の上での人間w。そもそも番組でも、福田と河上の最初の論争が貿易自由化をめぐるものだったと紹介してたはず。福田は市場主語ゆえ貿易自由化肯定、河上は国家主語ゆえ保護貿易。ちなみに番組で強調されてた「貧困」を河上や福田が重視していたというのも、内橋克人流に「市場主語から人間主語へ」みたいな悪質な誤読に流用されてたがw 両者ともに「人間の境遇への憐憫」や感情移入はあったかもしれないが、彼らの経済学でそれが中心にきたことはほとんどない。

 河上にとつて「貧困」は、あくまで国家の質が低下する故に問題。なのであくまで「国家主語」。福田にとって「貧困」は、市場がうまくデザインされてない可能性を示すものであり、それゆに生存権を持ち出す「市場主語」。ここキー。「貧困」について、河上が「国家主語」、福田が「市場主語」であった帰結は、彼らが昭和恐慌の時代に、「もっと不景気を推し進めよ」という清算主義的た立場で、貧困の究極化をすすめたことにつながる。「人間主語」ではなく、国家や市場が彼らの経済学の「主語」だから。

 最後に小ネタ書いとくけど、番組ではいっさい注記なかったけど、河上肇が「貧困」を扱ったというわれる『貧乏物語』は、日本の貧困やら日本そのものが一切でてきてない。話は当時の先進国の英国が中心。ここもキー。なぜ日本の貧困を直接論じず、英国なのか? ここをちゃんと論じないといけないと思う。

 いろいろ言いたいことはあるが、まあ、内橋ファクターや、また昭和恐慌期での河上と福田が暗黙の統一戦線(=清算主義)で、石橋湛山と論争して、湛山が「社会をミミズと同じに考えてる」と批判したことに注意すれば、この番組はかなり楽しめるでしょう。再放送もあるので要注意。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2012-07-29&ch=31&eid=3221