日本と米国の違いってなんだろうか?(簡単な図表から)

 バーナンキFRB議長の発言(学者のときの日本銀行批判といまのFRB議長になってからの金融政策のスタンスは首尾一貫)に対して David Beckworthが「総需要不足が原因じゃなかったの」という発言がある。でも、やはり僕はバーナンキがいまの米国はデフレ(の危機はあったけどどうにかそれは克服しつつある)ではない、という発言に重みを感じてしまう。FRBのように超金融緩和に動いた国と、日本のように20年間実質的に動いていない国ではやはりまったく違う。リーマンショックの前一年ぐらいいれても米国の経済停滞は5年と、日本の20年超はやはり違う。この長さも重要な意味をもってくる。

David Beckworthのように総需要不足ばかり(この“ばかり”に強調マークを!)みていると、やはり日本のような国と米国の違いを見落としてしまうし、同じ理論であっても米国と日本の環境が違えば、いまのバーナンキの発言もとりたてておかしくは思えない。まあ、もっと大胆に政策をやってほしいのは率直に思うところではあるが。

ただ、まだ半分リフレぐらい。まあ、日本の無リフレよりははるかにまし。

さて日本と米国の違いは

日本:20年超停滞(ただし実体経済はいくつかの局面あり) 緩やかで小幅なデフレの継続
米国:07年くらいからの停滞(現時点は回復局面) 一時期だけデフレの危機があったが基本的に緩やかなインフレの継続

Beckworthはこの前半の要因を注目しすぎていると思う。僕がいつも日本問題というか長期デフレで重視しているのは後者の「緩やかで小幅なデフレの継続」。

日本のデーターをみてみよう。まず Beckworthが注目している総需要不足をみるためにGDPギャップを内閣府の推計でみてみる(推計手法はいろいろあるのであくまで参考値だ)。図に「停滞局面」「危機局面」「回復局面」といれたのは、浜田宏一先生と岡田靖さんの論文による。最後の「超危機局面」はリーマンショックと震災の影響が著しい時期をしめすために僕が設定した。

この図表をみると“実体経済”はやはり浜田先生たちが描いたように、この20数年さまざまに変化していたことがわかる。総需要不足だけに注目していると、一見して日本はいくつかの性格の違った変動によってその時期その時期変転しているかのようにとらえかねない。それはちょっと間違いだ。例えばつい数年前まで「戦後最長の景気回復」だ、などといってて、それが中国や米国のせいだ、とか考えてしまうとか、反対に「実感のないのは小泉政権のせいだ」とかなど、そんな誤解をしてしまう。

で、次に重要なのは、このふたつの物価を表す図表。


これをみると、90年代終わりから、ほぼ一貫して日本は「緩やかで小幅なデフレ」が続いているのがわかるはずだ。図表は省略するが同じように円高も続いている。

特に注意すべきは、実体経済の「回復局面」(=総需要不足の縮小)でも一貫して「緩やかで小幅なデフレ」が続いていることだ。
総需要不足を重視するのはいいことだが、それだけみていてもだめだ。日本の場合は、持続する小幅のデフレが問題(もちろん同時に実体経済の悪化が問題だ)だし、米国ではデフレをとりあえず回避していていまは物価を安定させたまま失業率を下げることができるかどうかだ、この問題の違いは大きい。