電力危機の戦犯は誰だ『Voice』9月号特集

 毎月頂戴している『Voice』だが、今月号は電力危機問題で対談、座談会、論説が並んでいる。現在の電力問題の混乱は、菅政権による政策の失敗、いや政策以前の失敗が明白である。その意味では、堺屋太一氏の論説「官僚規格主義の敗戦」にある次の評価はかなり納得がいく。簡単にいうと、菅首相の権力への異常なまでの固執が、日本経済の大ダメージとほぼ取引されてしまったということだ。いまだに彼がなぜこれほどまでに異常に首相の座に執着したのか、権力というもののバイアスの大きさに改めて驚かされる。

「ひょっとしたら「菅直人総理大臣」の名は歴史に残るかもしれない。「豊かな工業国だった日本を貧しい孤独な国に陥れた総理大臣」としてである」72頁。

 もちろん電力問題だけではなく、堺屋太一氏のいう「官僚規格主義」の弊害は、僕流の言葉でいうと官僚の前例踏襲主義として、財務省(不況でも増税=均衡財政への異常な執着)、日本銀行(危機でもデフレ放置→円高加速)の態度にも表れている。

 堺屋氏の論説では、アメリカやフランスを安全確率主義とし、日本や旧ソ連は官僚規格主義だとする。安全確率主義はリスクを低めることを目指すがゼロにはできない。なのでリスクが顕在化したときの対策を十分に考える。他方で日本のような官僚規格主義だと、官僚の規格をみたせばリスクは是とになる、という誘導をする。これは日本銀行でも日常的に行う手法だ

 しかも堺屋氏は、この官僚規格主義から安全確率主義に転換することも難しいと指摘している。なぜなら「絶対安全だ」と明言していた官僚たちが前任者の発言を覆すことでうける批判をおそれているからである。なので「絶対安全だ」といっていたところに、今回のようにリスクが顕在化すると「想定外の事態だった」と官僚たちはいわざるをえなくなる。これもまた日本銀行がよくやる手である。

 堺屋氏は東日本大震災を経済の二十年の下落と組織硬直化の末に生じた大災難として。「第三の敗戦」といっている。おそらく堺屋氏と僕とはマクロ経済政策の認識が違うと思うが、こと官僚のやり口に関しては、わかりやすい納得のいく解説だ。

 ほかに福山哲郎飯田泰之岸博幸三氏の座談会があるが、飯田さんがいつもの突っ込み力をなぜか福山氏に発揮していないのが不思議だ。またビル・エモットと竹森俊平氏の対談がある。なぜか読み終わってこの二人が何をいいたかったのか印象に残っていない。これまた不思議な対談だ。

Voice (ボイス) 2011年 09月号 [雑誌]

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