関東大震災のときの経済学者の活動についてのメモ。ここでいう「活動」は単なる講義、論文書きや各種メディアへの寄稿を意味するのではなく、政府とのかかわり、政府への政策提言などにかかわるものである。これらの「活動」以外では、(経済学者ではなく後に経済学者になるものの)兵役従事、日記、あるいは震災調査(福田徳三、小泉信三ら)がある。
以下では関東大震災のときの経済学者の最も活発だった「政府外での活動」についての簡単なメモ。それは二十三日会でのもの。当時の総合雑誌『改造』の社長山本実彦が音頭をとったもの。政府の復興政策への対案提出を企図して結成された。メンバーは堀江帰一(慶應義塾教授)、福田徳三(東京高商教授)、政治学者の吉野作造(東大教授)が中心。経済学者はこの二名だけだが、堀江と福田は中心になって活動した。彼らは失業救済、火災保険問題、朝鮮人&社会主義者虐殺事件<特に大杉栄事件>について討議し決議した。
他のメンバーは・松尾尊兌「吉野作造の朝鮮論」(『吉野作造選集』第9巻所収)によれば、伊藤文吉、渡辺鮧蔵、千葉亀雄、吉坂俊蔵、鶴見祐輔、永井柳太郎、中野正剛、大川周明、大田正孝、山川均、山本実彦、松本幹一郎、桝本卯平、小村欣一、小村俊太郎、権田保之助、北?吉、城戸元亮、三宅雪嶺、三宅驥一、下村宏、鈴木文治、末広巌太郎、饒平名智太郎が、第一回の会合(9.23)に出席した。堀江と福田は第一回会合に出席し、座長を堀江、会合の二十三日会の名称を福田がつけた。吉野は欠席。松尾によると、案内は出したが欠席したものは、伊藤正徳、石橋湛山、鳩山一郎、長谷川萬次郎、馬場恒吾、穂積重遠、富田勇太郎、吉野信次、田沢義鋪、大山郁夫、安部磯雄、青木得三、杉森孝次郎などであった。『改造』の執筆者を中心にした当時の知識人大集合の感がある。
さらにその決議をもって、首相&内相&法相に手渡すことをこころみる。内相官邸では岡田忠彦警保局長と懇談。ちなみに『改造』にも典型的だが、新聞や雑誌を含めて関東大震災関連の記事は震災が起きた9月から翌年二月にかけてがピークであり、それ以降は急速に関連記事が乏しくなる。『改造』でも10月号から翌年2月号にかけて集中的に震災関連の記事が掲載されていた。二十三日会も10月20日の諸決議を閣僚たちに手渡して以降は自然消滅。
なお、拙著の『沈黙と抵抗』には、吉野作造の朝鮮人虐殺問題について、また当兵卒であった住谷悦治の関東大震災時の回想(彼の経済学者への転進の契機となる)などが記載されているので参照していただければ幸い。
- 作者: 田中秀臣
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