雇用不況とデフレ

半年ほど前に雑誌に掲載された論説の草稿。書いている事態には基本的に修正はない。

雇用不況とデフレ

 今年のノーベル経済学賞は、ピーター・ダイヤモンド他二名に対して与えられた。ダイヤモンドらが受賞した理由は、「サーチ理論」の貢献による。ダイヤモンドらの受賞を祝して、ポール・クルーグマンはさっそくニューヨークタイムズのブログに「サーチ理論から学べること」をサイトにアップした。まずクルーグマンは、サーチ理論というのは、特に労働市場を念頭に置くとわかりやすいという。実際にダイヤモンドらの業績は、主に労働市場に対してあてはめたものだ。通常の経済学では、賃金の高低に応じて、労働需要と労働供給が一致することで「完全雇用」が成立する、めでたしめでたし、となると説明されている。だが、この経済学の戯画はあまりにも労働市場を単純化している。実際には労働市場には、いろんなタイプの人材を欲している雇い手と、またいろんなタイプの人材がいる。この異質な人々がうまく市場でお互いの希望通りの働き手、働き口を見出すにはかなりの時間がかかるだろう。人材の売り手と買い手がマッチするまで、売り手側はあえて「失業」した状態を選ぶかもしれない。これがサーチ理論から出てくる「構造的失業」の説明である。「完全雇用」というと就職希望者がすべて雇用された状態を表現しているように思われるが、経済の場で議論されている「完全雇用」には絶えずこの種の「構造的失業」が伴うのが普通である。

 もちろんこの構造的失業も人材を無駄にしている点では問題である。なので構造的失業の対策には、「雇用のミスマッチ」の解消がしばしば重要だといわれている。例えば、就職情報の提供やカウンセリング、さらに希望に適う人材に変身するための職業訓練なども、重要な政策になるだろう。この構造的失業の発生も解決もともに長い時間のかかる問題といえる。

 だが、他方で、リーマンショックのような短期的にものすごい経済ショックが生じると、それによって消費や投資が一気に冷え込み、既存の社員たちのリストラや新規採用の縮小などが生じるだろう。この場合に生じる失業は、構造的失業と区別して循環的失業(需要不足の失業)と呼ばれている。

 クルーグマンはダイヤモンドの業績に、この構造的失業と循環的失業がそれぞれどのくらい一国の経済の中でウエイトをしめるのかを示す「ベバリッジ曲線」があることを書いている。クルーグマンは米国経済の2000年第四半期から09年第四半期までのベバリッジ曲線を提示して、欠員率が減少し、失業率が増加することがわかるとした。簡単にいえば、企業は不況のために人材をそれほどほしがらず、むしろリストラに励んでいるのだ。これは米国経済が構造的失業よりも循環的失業に苦しんでいることを示すものである。クルーグマンがあげたのが、図表1だ。

 ところでクルーグマンをまねて、同時期の日本経済のベバリッジ曲線を図2で示してみた。ちょうど日本のベバリッジ曲線は時計の動きと逆回りの曲線を描いていることがわかる。これは米国と同様に、ここ最近の不況は構造的失業ではなく、循環的な失業が問題であることを示しているといっていいだろう。もちろん構造的失業がまったく問題ではない、といっているのではない。現状の5%台の完全失業率の高まりの大半が、消費や投資の冷え込みなどの循環的な要因によるものであり、いきなり日本経済の雇用のミスマッチの度合いが増えたわけではない、ということをいいたいのだ。

 もし循環的失業がベバリッジ曲線に示されたように、最近の失業の高まりの大半を説明するならば、その対策は、職業紹介や職業教育などに重点を置くのは間違いだということになる。循環的失業の対策は、需要不足を解消するためのマクロ経済政策(財政政策と金融政策)に求めることがデフォルトだろう。そして日本も、もちろん米国もマクロ経済政策こそがいま求められる最優先の雇用対策なのだ。

 実際にオバマ政権は、地方のインフラ整備を雇用創出のために行うことを表明し、総額4.2兆円規模の財政政策を計画している。また同時に金融政策では、10%に迫る高い失業率とデフレ傾向にある経済を解消するために、いわゆる「インフレターゲット政策」の採用をFRBが検討していると伝えられている。インフレターゲット政策とは、デフレを回避し、経済が「完全雇用」に到るように、物価水準をコントロールする政策をいう。

 このようにダイヤモンドの業績であるベバリッジ曲線から導き出される雇用対策にまさに適合する形で、米国は政府と中央銀行が連携して、雇用不況に対処していることがわかるだろう。

 さて対する日本である。日本の雇用不況もまた、米国と同じように循環的失業がその真因であることは、ベバリッジ曲線などから推測できることである。5%の完全失業率のうち、いくつかの推計をもとにすると、おそらく2%以上が循環的失業であり、今回の失業率の高まりのほとんどすべてを説明し尽くす。当然に雇用不況の一番バッターは、強力な財政政策と金融政策の連携であるはずだ。しかしこれが日本ではうまくいっていない。

 民主党政権が雇用不況の対策の柱にしているのは、雇用調整助成金制度の拡充である。これはもともと自民党政権の政策を継承したものである。この雇用調整助成金は、簡単にいうとリストラ対象者が実際にリストラに直面することをある一定期間回避することを目的に採用された制度である。企業は急なリストラを行う代わりに、休業や教育訓練などを選択し、その間、リストラ対象者は自分の技能をスキルアップしたり、場合によれば新しい職場探しをするかもしれない。企業の方はその期間中、休業や教育訓練などの形態に応じて政府から助成金をもらうという仕組みである。この制度はその仕組みの特徴からいって雇用のミスマッチ解消に主眼が置かれてる政策であることは明白だろう。しかしそれでも不況からの一時的な防御帯にはなりうる。なんといっても解雇はないわけだから、失業の抑制効果にはなるだろう。その抑制効果は、はっきりはしないのだが、ある試算に基づけば、0.7%ぐらいではないかと考えられる。つまりこの雇用調整助成金がない場合は、いまの完全失業率は6%近く、過去最高の失業率まで上昇したかもしれない。しかし何度もいうが、実際にこの助成金制度が本来、雇用のミスマッチ対策であることが、まさに今回の雇用不況にとっては「ミスマッチ」なのである。雇用不況そのもの解消に役立たないので、この助成金の期限が切れたり、予算ではカバーできないほどの失業の高まりが生じたときには、企業はこの「潜在的な失業者」をリストラすることが合理的な活動になってしまう。もちろんスキルをアップしたり、中には転職先を幸運にも見つけることができる人もいるだろう。しかし雇用不況自体が、循環的な要因であるかぎり、この助成金制度は根本的な解決策にはなりえない。

 また民主党では、税制をいじって正社員採用には補助金を与えたり減税を実施することを考案しているようだ。しかしこれも雇用不況の対策ではない。あくまで一時的な正社員増加でしかなく、雇用全体が本格的に増加するわけではない。

 また金融政策を見てみよう。FRBの積極的な金融政策に比較して、日本銀行の金融政策は極めて力不足である。おそらくこの雑誌には、上念司や高橋洋一らが寄稿しているので、彼らがこの日本銀行の金融政策の不十分さに言及してくれているはずなので、読者はぜひ熟読してほしい。日本の金融政策が不十分なために、デフレが止まらず、そのために円高の進行もとまらない。円高とデフレを伴う不況は、国内の消費や投資を低迷させるだけではなく、日本の企業が海外に拠点を求めてしまい、いわゆる「産業の空洞化」を併発する。この産業の空洞化によって、日本の労働者は働き口を失ってしまうだろう。また国内でなんとか職を得ている人たちの所得も低下し、また非正規雇用の待遇もさらに悪化し、日本の経済格差を深刻なものにしてしまうだろう。

 このように循環的失業の増加がいまの雇用不況の真相であるにも関わらず、民主党政権の雇用対策は一時的な効果はあるものの、的外れなものである。むしろ循環的な問題を解決するならば、いわゆる「ばらまき」という世間からの批判に抗してでも、家計への直接的な現金の支給を行ったほうが、よほど雇用不況の解消に効果的である。

 また金融政策では、FRBが検討しているようなインフレターゲット政策を日本銀行は採用すべきである。同時に、現状行っているさまざまな資産の購入もさらに増額し、特に長期国債の買いオペ枠を増額していくことが重要である。例えば政府と協定を結び、日本銀行が20兆円規模の長期国債を引き受けることで、政府がそれを財源にして、オバマ政権が実行しようとしているタイプの社会インフラ整備を行うことも有効な雇用不況の解決策であろう。日本では旧来型の社会資本整備で社会的な有用性が高いにもかかわらず行われていないものがかなりある。それを実行することは、従来の「穴を掘って埋める」ような公共投資とは異なるものだ。

 民主党の「無策」が、今回の雇用不況の深まりに貢献していることも事実である。また日本銀行の責任も政府よりもむしろ大きい。しかし、民主党の中にも循環的失業の解消を目指す、デフレ脱却議連のような政策集団も活発に行動している。民主党には有能で国民のことを真剣に考える人材が豊富にいるのも事実だ。僕はそういう人たちにいまは期待したい。

図表1

図表2