小野耕世「世界のコミック最前線」in『ユリイカ』を立ち読みする

 自分でも正体不明なのだが、ペ・ドゥナのドラマを必死に観→宇常寛対談に備えて『コードギアス』などを爆観→公開イベントのために現代エコミシュ爆撃→今度は週末の谷口ジロー講演のためにまた谷口&メビウス爆読み……とここ二カ月でもかなり変転した。なにやってんでしょか、この人は? 笑。

 さて最近のユリイカは何がでてくるのかまったく予想がつかないだろう。その「オレが好きなものをやるぜ」的編集方針は、人生はひとときの夢の如しを体現する素晴らしいセンス横溢であることは、誰でも感じるだろう。そうまさにザ・オレの趣味である。編集はある両極にわけた場合、そのひとつの極であろう。ということでこんどは若沖、その前はカイジ、臨時ではペ・ドゥナともう百花繚乱であるw 個人的にペ・ドゥナ論を終えてからシノドス命にふれてしまい、まったく本誌をチェックするのを忘れていた。

 晩御飯の食材を買うついでに本屋で立ち読みした、『ユリイカ』に小野耕世氏の新連載(「世界のコミック最前線』)が始まっていた。第一回はオデッセイ D・マッツーケーリの 『アステリオス・ポリープ』、第二回はS・タンの 『到着した人』をそれぞれ一作にしぼりかなりの文字数で解説したものだ。小野氏の多くのエッセイがそうであるように、この連載もまたその現物を読んでみたい気持ちを読者に引き起こす、この人らしい年季の入った職人芸に違いない。

 ただこれを読んで微妙な気持ちになった。小野という人はあくまでも「現在」の人なんだなあ、と思ったのだ。何かいままで自分が過去にやってきたことを整理したりする作業とは無縁に、まさに「今」のコミックをさくっと一般読者に解説する。それはそれで上にも書いたが職人技として素晴らしいことである。ただ、今年の前半に、メビウスの日本への影響を調べたときに、小野氏がいったいいつメビウスと初めてあったのか調べて困惑したことがあったことを思い出す。なんと70年代初めから80年代真ん中まで3、4回この15年ほどの時間の間に「はじめて」会ったようなことを書いているのである。

 僕はこれを小野氏の記憶力のせいにしていた(あまりにいろんなことを覚えなくてはいけないので!)。しかしこの連載を読んでみて違う感想を抱いた。小野氏にとって「今のコミック」を切り取ることが重要なのだと。メビウスと会ったその都度都度が「初めて」だったんじゃないかと。

 そういう人は経済学でもまれにいる。問題はそうなってしまうと、あとで彼の業績なり発言なりを整理することがきわめて困難になることだ。この連載もいいのだが(ただしあくまでも一般読者向けであり、僕は二作とも読んでたのでちょっと物足りなくもある)、ほんとうのことをいえば、この小野という人自身を総力をあげて点検・評価すべきときが近いんじゃないだろうか? そういう何か物足りなさをこの連載に感じるのだ。もっとその深く眠った記憶をぶちまけてほしいと。それをぶちまけさせることができる無頼の徒をコミック批評は必要としているだろう。

『アステリオス・ポリープ』は、つい最近、知人に僕が「最新のアメコミといえばこれ」と書いたことを思い出すw。オ―スター原作の『シティ・オブ・グラス』もお薦め

Asterios Polyp (Pantheon Graphic Novels)

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タンの『到着した人』は以下

The Arrival

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