長岡義幸「性表現規制の都条例改定問題再び勃発」『創』1月号

 僕の見たところもっとも首尾一貫したマンガ規制への言論を続けているのが長岡氏である。その長岡氏が、6月の都条例(非実在青少年規制)の否決以降の行政側、規制推進派、規制反対派などの動きを丁寧にフォローし、11月末までの状況をわかりやすくまとめたのがこの論説であり、ちょっと諸事情で、この間、しばらくこの問題から離れていた僕にはとても参考になるものだった。

 特に行政側が、6月の否決以降に、周到な根回しをはかり、草の根レベル(警察側やPTA側の事実上の協力を得て)を説法し、さらには民主党への工作にも熱心に取り組んでいたことがわかる。これだけのパッションが尋常ではないと思う。

「略 治安対策本部の職員が「子供を性の対象として描いた漫画など」を持参して、都内全域で会合を開いたことを明らかにした。その回数は、先の改訂案が否決された6月に11回、7月に5回、8月に17回、9月に28回、10月に11回と、実に72回」

「関係者によると、質疑で明らかになった説明会に出席したのは、PTAの役員らが主だったという。会場には、警察署も使われたようだ。都の説明を聞き、民主党が条例改定に反対したのはけしからんというやりとりが行われたところもあったという。行政が草の根の民主党批判のきっかけをつくったかのようにみえる」。

どのような説明がそこで繰り返されたのか。日本銀行問題と同じで「ご説明」には公表予定ではあるが、まだ公表されていない最先端?の情報が一部の人間のみに開示されていることは疑いない。実際の条例案公表の前に、事実上その政策を事前にリークしていき、地均しを行うのは、日本の官僚たちの伝統的手法である。政策の議論は骨抜きにされ、行政が議会の空洞化に貢献していく。

僕がこの都条例案問題で、一貫して感じたのは、行政側の専横と議会のなんとも頼りない政策能力の欠如であった。正直、この漫画規制だけではなく、他の都民にかかわるすべての問題で、漫画規制で問題視されている行政の病理が繰り返されていると考えるべきではないだろうか? その方がこの条例案の正否という当面の課題を超えて、より切実な問題ともいえる。

マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)

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